何故「鉄の本棚」ではないのか?

実は、この本にはほとんど鉄道の話が出てこないのです。単純に東京駅から高尾駅まで中央線で移動して全32駅の周辺にある居酒屋でホッピーを呑んで歩くというダケの話なのです。つまりホッピーを飲む店の情景が延々書かれます。半分は店の紹介です。それと著者と周囲に方々の酔態です。まぁ、楽しそうですが、他人の酔態なんて酒の肴にもなりゃしません、って。(笑) 

著者の大竹さん1963年(昭和38年)生まれなので筆者よりも少し年下です。三鷹の団地で育ったということですが、実は筆者の実家がその団地からちょっとの世田谷区に入った場所にありました。小学2年から大学3年まで筆者もそこで過ごしていましたし、友人がたぶん大竹さんと同じ団地に住んでいたので筆者は遊びに行ったりしていたのです。大竹さんと近い環境だったという共通点が嬉しいですね。話が通じやすいです。

大竹さんは2002年(平成14年)に「酒とつまみ」という雑誌を創刊していて、この本はこの雑誌に連載された記事が元になっています。ホッピーというのはアルコール分0.8%の清涼飲料水に分類されるビール風味の飲み物で主に甲類焼酎(無味無臭)を割って呑みます。東京、神奈川(特に横須賀エリア)、埼玉で製造量の8割が消費されている極めてローカル色の強い飲料です。戦後発売され、ビールが「高値の花」だった時代に爆発的に売れ、1970年(昭和45年)に調布に工場を移転、筆者が大学生だった時代の昭和50年代に売り上げのピークを迎えました。しかし、1980年に発売された柑橘系探査案飲料「ハイサワー」で焼酎を割るのがブームになってホッピーは長い低迷期に入りました。しかし三代目の女性社長就任や品質向上の努力などもあって2003年以降第三次ブームとなっています。

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筆者もホッピーを飲みます。1980年の前後、筆者が大学生だった時代から呑んでいますが、確かに現在ほど何処の店にも置いてあるといったメジャーな飲み物では無かった様な気がします。ただ1980年代半ば頃からサワーブームになって、ドコの居酒屋でも無闇にハイサワーだのレモンサワーだのが飲まれていました。筆者は未だにこのサワー系のアルコールをあまり飲みません。ホッピーの方が好きです。だってジュースみたいなんだもん。

お酒の席で最も衝撃だったのはサラリーマン時代、世話になった事務方の女子数人と「ちゃんこ料理」を食べに行った時でした。ちゃんこ鍋を食べながら一人が「スクリュー・ドライバー」を呑んでいたのです。ちゃんこ鍋にオレンジジュースですよ!これには参ったですね。もしかすると筆者とメシを食うのがイヤなのかなぁ、と勘ぐりましたが、何杯もおかわりしながら美味しそうにちゃんこ鍋を食べてましたから、畢竟、世の中には色々な好みがあるモノだと改めて悟ったのでした。

今でも、居酒屋でカルピスサワーを飲みながら刺身を食べている人などを見ると、何となくその時のことを思い出します。

ところで、この本を取り上げたのは、何度も二日酔い・三日酔いで、口元にホッピーを持って行くのもホントに辛いという事態、それでも、延々と飲み続ける著者の大竹さんの姿が剰りにも痛々しいのです。一面では、アホだなぁ、とも思いますが、肝臓の裏辺りがむず痛い様な、世界が今正に終わりかけている様な気分で酒席に向かう姿にはある種の悲壮感があります。幸い筆者は「仕事でお酒を飲む」という境遇にあったことはありませんが『中央線で行く東京横断 ホッピーマラソン』という本は「嫌々でも無理矢理に酒を飲むこと」についての無責任な観察が出来ることでしょうか。

著者の大竹さんには『酒呑まれ』(ちくま文庫/2011)という書き下ろしの一冊があって、実はこの本が凄く良いのです。ホッピーマラソンの無意味な努力も自分勝手な愚痴もなく、淡々と酒を口に運ぶ無口な大竹さんの閑かな姿があって、なんとも暖かく酒が呑みたくなります。ホッピーマラソンはこの本を引っ張り出す為の”お通し”みたいなものです。(笑)「酒呑み」ではなく「酒に呑まれる=酒呑まれ」とは、なぎら建壱氏の命名だそうです。子供の頃から現在までの大竹さんの半ば自伝ですが、中島らもさんや高田渡さんなど天使の様な酔っ払い達も登場して楽しい読み物です。

幸か不幸か筆者は50代前半で会社員を辞めてから青春18きっぷで鉄道の旅をすることにハマりました。独り旅ですし、車窓が暗くて見えない時間帯は旅をする意味がないので、暗くなれば旅装を解いて、地方の居酒屋に入るのが何よりの楽しみです。北海道で食べても九州で呑んでも似た様なメニューのチェーン店は極力避けて、ローカルな居酒屋のカウンターに座って、今日の旅、明日の予定などをぼんやり考えながらの独酌は楽しいものです。初めて入る居酒屋のカウンターで独り燗酒など呑みながら大竹さんの『酒呑まれ』を思い起こしながらニヤニヤしているのです。

(写真・記事/住田至朗)