※2014年3月撮影

トップ画像は、JR北海道石勝線夕張支線夕張駅ホームに到着した始発のキハ40 1715。まだ尾灯が点いています。

前日、早朝に根室を出発、何と花咲線の始発列車運転士さんが昨夜根室に来た時の運転士で、筆者が前面展望を見ていたら、筆者を覚えていて釧路まで楽しく話をしました。他にお客さんもいなかったし。

釧路から新得まではキハ40 1722。14:57新得着。駅そばを食べて青春18きっぷで乗車できる「特急とかち」で新夕張駅に17:34に到着。無人駅ですが明かりが点いていました。

※2014年3月撮影

新夕張駅は、1892年(明治25年)紅葉山駅として開業。1981年(昭和56年)新夕張駅に改称。登川支線(1907年-1981年)など複雑な経緯がありますが、長くなるので詳らかにしません。すみません、興味のアル方は、お手数ですが「紅葉山駅」を検索して下さい。

新夕張駅前には、紅葉山の駅名標が保存されていました。

※2014年3月撮影

この後、18:50の夕張行に乗車。19:16夕張駅に着きました。しかし駅前にタクシーがいません。ホテルに電話してタクシーを呼んでもらってようやくチェックイン。

夕張という炭鉱で栄えた町の激変をホテル近くの居酒屋さんで聞きました。正に、激変です。

1960年(昭和35年)炭鉱最盛期、夕張市の人口は、約12万人。しかし炭鉱閉山が続き、わずか20年後、1980年に人口は、約4万人と3分の1に激減。20年で住民の3分の2が居なくなってしまう状況って、想像を絶します。

そして2020年(令和2年)人口は、7,000人ほど(最盛期の6%程度)にまで減少しています。山間の炭鉱のために開かれたエリアなので平坦地が少なく、夕張メロンで12万人の人口は支えられないのです。

夕張市は、以前に触れた歌志内市についで全国で2番目に人口の少ない市です。残念ながら、ともに石炭で栄えた北海道の地域人口減少の典型です。

夕張市街の中心部にあったホテルから夕張駅までタクシーで行きたいのですが、タクシーは午前8時半まで営業していません。1.5km凍った道路を歩くのは、慣れていないので怖ろしい。ラッキーなコトにホテルのスタッフが「用事があるから駅まで送りますよ」と言ってくれました。

6時45分の夕張駅。人の気配はありませんでした。激寒いです。

※2014年3月撮影 オリジナルが4:3です

7:08発、始発の千歳行を待ちます。石勝線夕張支線は盲腸線。

※2014年3月撮影

炭鉱が盛んだった時代は、昨夜宿泊した市の中心部よりもさらに奥、現在「石炭の歴史村」に初代夕張駅がありました。二代目の駅は、ホテルから500メートルほどの夕張市役所の辺りにあった様です。そして現在の三代目夕張駅は、マウントレースイのリゾート開発で現在の場所に移されました。

駅名標。

※2014年3月撮影

1892年(明治25年)北海道炭礦鉄道の駅として開業。1985年(昭和60年)炭鉱閉山で石炭を積む必要が無くなり、駅は夕張市役所付近に移転。1990年(平成2年)現在地に駅が移転。2019年(平成31年)4月夕張支線廃止。駅も廃止されました。

始発列車、前照灯が灯って出発します。

※2014年3月撮影 オリジナルが4:3です

行先表示は、夕張-千歳。

※2014年3月撮影

キハ40 1715は、残念ながら2024年3月廃車になりました。

これは、2016年(平成28年)9月、夕張支線廃止前に写真を撮りに来た時の夕張駅。夕張支線の廃止がほぼ明らかになっていたので、全国から鉄道ファンが夕張支線に来ていました。

※2016年9月撮影

夕張支線終端部。

※2016年9月撮影

単式ホームへの通路。

※2016年9月撮影

2014年3月に夕張支線で撮った駅名標はこの1枚だけでした。

※2014年3月撮影

余談です。北海道、羽幌町出身の仲の良い元同僚がいます。彼が育った頃、町には3万人が住んでいたそうです。しかし近隣の炭鉱が閉山、ニシンも捕れなくなって、羽幌線が1987年(昭和62年)に廃止。

同僚は、京都の大学を卒業して1983年(昭和58年)筆者と同じ会社に就職しました。故郷の衰退を帰省した時、町を歩いたり家族や友人の話から露骨に感じていたそうです。

彼の実家を含め、親戚一同が羽幌線の廃止で地元を離れたのが故郷との別れになりました。2020年(令和2年)羽幌町の人口は、約6500人と最盛期の約2割。

実家が商店経営だった彼、いわく「鉄道が無くなったら、人の流動が無くなるので、農業・漁業といった地場産業従事者以外は、不安になって移住してしまう」と言っていました。

これだけJR北海道の廃線が続くと、ペシミスティックに考えると、北海道は、明治以前(石炭とニシン以前)の人口希薄な状態に戻ってゆく様な気がします。

次回は、2016年9月に乗った新夕張駅~夕張駅間です。

(文・写真) 住田至朗

※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。

※『JR路線大全 北陸・信越本線』(天夢人/2023)『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)『北海道 駅名の起源』(日本国有鉄道北海道総局/1973年)他を参照しています。

※鉄道、駅などは鉄道会社、利用者の皆様のおかげで撮影させていただいています。ありがとうございました。