※2017年1月撮影

トップ画像は、雄信内駅ホームの除雪用ディーゼル機関車DE15形。関東で暮らす筆者にとっては、とても珍しいのです。

さて宗谷本線の廃止駅の続きですが、ここでJR北海道の宗谷線維持活動の報告から少し引用したいと思います。

「宗谷線アクションプラン実行委員会」は、JR北海道が委員会事務局を務め、宗谷線沿線自治体(旭川市 稚内市 士別市 名寄市 比布町 和寒町 剣淵町 美深町 音威子府村 中川町 豊富町 幌延町)の首長(委員会)とともに宗谷線の持続的維持の仕組み構築を目指しています。

実行委員会が2020年(令和2年)8月に発表した「宗谷線(旭川~稚内間)第2期事業計画(アクションプラン)」の【別添資料】を参照します。

各自治体にある宗谷線の駅は以下です。 ※カッコ内は2021~2024年に廃止された駅 太字は、前回参照した「JR北海道が実施した乗降人員調査(2015~2019)の1日平均」で、1名以下だった駅。

※JR北海道「宗谷線(旭川~稚内間)第2期事業計画(アクションプラン)」より

旭川市 : 旭川 旭川四条 新旭川 永山 北永山

比布町 : 比布 蘭留 (南比布 北比布

和寒町 : 塩狩 和寒

剣淵町 : 剣淵 (東六線 北剣淵

士別市 : 士別 多寄 瑞穂 (下士別)

名寄市 : 風連 名寄高校 名寄 日進 智恵文 智北 (北星

美深町 : 美深 豊清水信号場 (南美深 初野 紋穂内 恩根内

音威子府村 : 天塩川温泉 咲来 音威子府 筬島

中川町 : 佐久 天塩中川 (歌内

幌延町 : 問寒別 糠南 雄信内 南幌延 幌延 下沼 (安牛 上幌延

豊富町 : 豊富 兜沼 (徳満)

稚内市 : 勇知 抜海 南稚内 稚内

これら自治体の人口推移です。

※JR北海道「宗谷線(旭川~稚内間)第2期事業計画(アクションプラン)」より

人口減少率が91.2%の旭川市を除き、1977年(昭和52年)から2030年(推計値)で

比布町   6.0 → 2.7 (45.0%)

和寒町   7.2 → 2.5 (34.7%)

剣淵町   5.7 → 2.3 (40.4%)

士別市   34 → 15  (44.1%)

名寄市   40 → 24  (60.0%)

美深町   9.3 → 3.2  (34.4%)

音威子府村 2.2 → 0.5  (22.7%)

中川町   3.7 → 1.2  (32.4%)

幌延町   4.4 → 1.9  (43.2%)

豊富町   7.0 → 3.0  (42.9%)

稚内市   56 → 27  (48.2%)   ※単位/千人

・・・と、最も人口減少の少ない名寄市の60%を例外として、人口が半分以下に、最も人口減少の激しい音威子府村は、2200人から22.7%の500人にまで減ってしまうのです。

2014年3月に音威子府駅を訪れた筆者は、駅前の旅館を探した際に猛吹雪に遭ってホワイトアウト。大袈裟では無く遭難しそうになりました。その経験からも酷寒の北海道で暮らすことの厳しさが実感できます。

さらに問題なのは、公共交通機関を利用する中高生の人口減少が顕著な事です。下のグラフからも、15~19歳の人口が2005年(平成17年)の24千人から2025年には、15千人と62.5%にまで激減してしまうのです。

※JR北海道「宗谷線(旭川~稚内間)第2期事業計画(アクションプラン)」より

筆者は、2016年10月に「コラム【鉄道を考える05】JR北海道のおかれている状況について」を書きました。その中にも引用しましたが、JR北海道が「持続可能な鉄道のあり方」についての中に掲載していた図がこちらです。

※JR北海道「「持続可能な鉄道のあり方」について」より

宗谷本線エリアの人口減少が急速であることが分かります。これは、鉄道会社であるJR北海道だけではどうにも解決できない現象です。

日本全体が少子高齢化で既に人口減少が始まっていますが、石炭と鰊(ニシン)で明治以降に爆発的に人口が増えた北海道は、その主要産業二つが消えて無くなったことで人口を維持する方途に苦しんでいるのです。

・・・と、北海道の人口減少というJR北海道が直面する過酷な現実にフォーカスしました。

以上の事を念頭に、宗谷本線で2021年以降に廃止された駅の記録に戻ります。

南美深駅(旭川駅から95.6km)。奥は旭川方面。車両1両分の板張りホーム。スロープは手前(稚内側)にあります。

※2015年3月撮影

駅名標。

※2015年3月撮影

1956年(昭和31年)仮乗降場として開業。1959年(昭和34年)駅に昇格。2024年(令和6年)3月利用者減少で駅は廃止。開業から廃止まで無人駅でした。

初野駅(同101.9km)。奥が稚内方面。板張りの簡易ホーム。スロープは踏切側にあります。

※2015年3月撮影

駅名標。

※2015年3月撮影

1948年(昭和23年)仮乗降場として設置。1959年(昭和34年)駅に昇格。2019年(令和元年)JR北海道が「平均乗降人員3名以下の駅、廃止か自治体負担での維持か」と問いかけた際、初野駅は1日平均乗降人員が3名以上だったので、美深町内の南美深、紋穂内、恩根内の3駅が廃止になった時は存続しました。しかし2020年以降は、平均乗降人員が3名以下になったことで2024年(令和6年)3月に廃止。開業から廃止まで無人駅。既に板張りホームは撤去されています。

1996年(平成8年)に建てられた待合室。

※2015年3月撮影

6つの駅があった美深町内ですが、南美深、紋穂内、恩根内、初野の4駅が廃止され、豊清水駅は信号場に格下げとなり、残ったのは美深駅だけになりました。

上で触れた人口減少率で、美深町は、1977年の9300人から2030年には3200人(推定値)と人口は34.4%にまで減ってしまうのです。

紋穂内駅(同105.0km)。奥が稚内方面。

※2015年3月撮影

mais、3月になってもこの積雪です。

※2015年3月撮影

撮り直した一枚。

※2015年3月撮影

紋穂内駅は、1911年(明治44年)開業。今までに廃止された駅の様な仮乗降場では無く、開業時から有人駅でした。しかし、2021年(令和3年)利用者減少で駅は廃止。

駅名標の両隣、初野駅と恩根内駅も、廃止されています。

その結果、美深駅から天塩川温泉駅までの駅間は、23.2kmと長大なものになりました。

恩根内駅(同112.1km)。雪が深い・・・、3月です。

※2015年3月撮影

駅名標。

※2015年3月撮影

恩根内駅も1911年(明治44年)に駅として開業しています。有人駅でしたが1980年代に無人駅になりました。2021年(令和3年)駅は、美深町の維持管理下で存続。しかし利用者減少で2024年(令和6年)3月廃止。

この1993年(平成5年)に美深町が建てた駅舎も既に解体されました。

※2015年3月撮影

こうして宗谷本線の廃止された駅を延々と記録していると、流石に些か気が滅入ってしまいます。

全く個人的な意見ですが、明治以降の貴重な近代遺産として、JR北海道の多くの廃線や宗谷本線の廃駅を維持することが出来たならば、明治維新で近代に目覚めた祖先たちが、必死に努力して作り上げた汗の結晶を未来の日本人に伝えることができたのではないか、と残念に思います。

次回は、歌内駅から北上します。

(文・写真) 住田至朗

※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。

※『JR路線大全 北陸・信越本線』(天夢人/2023)『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)他を参照しています。

※鉄道、駅などは鉄道会社、利用者の皆様のおかげで撮影させていただいています。ありがとうございました。