※この「私鉄に乗ろう」の写真は、筆者がプライベートで旅行して撮影したものです。鉄道会社さんから許可をいただいていませんので、乗車券があれば誰でも入れる場所からの手持ち撮影・スナップ写真です。ポケットに入るコンパクト・デジタルカメラで撮影しています。

流鉄の歴史を簡単に

旧国鉄常磐線が1896年(明治29年)に開通し松戸駅が開設されました。流山町の住民は2時間歩いて常磐線を利用したそうです。それまで船で両国まで数時間かかっていたのが鉄道なら正確に40〜50分で行くことができたのです。1898年(明治31年)には馬橋駅が開業して歩く時間も1時間半になりました。この「鉄道が敷かれて正確に列車が運行される」事態が庶民の日常に「時計、正確な時間を知る」という習慣を生みだした、と原武史さんが書いていたことを思い出しました。

流山から常磐線まで鉄道を敷こうという気運が高まります。流山町民がお祭りの寄付金の様な一種の地域分担金としてそれぞれの所得に応じて株を購入=出資して1913年(大正2年)に流山軽便鉄道が設立され、1916年(大正5年)3月14日、軌間762mmの鉄道が流山〜馬橋間を走り始めました。農繁期には乗客が減るという農業地帯を走る小さな鉄道会社は徐々に乗客を増やしながら1922年(大正11年)には流山鉄道に改称。1924年(大正13年)に関東大震災を乗り越えた流山鉄道は1067mmの狭軌に改軌します。1925年(大正14年)には陸軍糧秣本廠流山出張所が完成し平和台駅付近から引き込み線が敷かれ貨物輸送が増大しました。しかし軍の施設が多くあったため第2次世界大戦で流山はアメリカ軍の爆撃目標になったのでした。戦後は燃料不足が深刻なため1949年(昭和24年)に流山線は電化します。旧国鉄から1500Vの電力を購入しての運行でした。戦後、流山線沿線の宅地化が進み、1951年(昭和26年)に流山電気鉄道に改称した頃の年間乗客数は119.6万人、1962年(昭和37年)には200万人を越え、1966年(昭和41年)に313.9万人、1974年(昭和49年)には400万人を越えました。1993年(平成5年)度には610万人を越え1日の列車本数も上下各72本が運行されています。しかし、乗降客数はこの年がピークで、2005年のつくばエクスプレスの開業後は大きく減少し、中でも流山駅では半分に減ってしまったといいます。

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1967年(昭和42年)に本社を流山に移転、小金城趾駅に列車交換施設を整備、1日の運転本数を上下各32本から各46本に増やしました。1971年(昭和46年)平和相互銀行の傘下に入って社名が総武流山電鉄に変更、2008年(平成20年)には社名を流鉄、路線名を流山線に変更しました。
車両は1978年以降西武鉄道から18両を譲り受け、各編成ごとにカラーリングを変えています。オレンジ色の「流星」、青の「流馬」、銀の「銀河」、若草色の「若葉」、赤の「あかぎ」。現在は、流鉄5000形、5001編成「流馬」が全般検査で2017年7月にさよなら運転を行い、2018年春に新しいカラーリングと愛称で登場する予定です。5002編成「流星」、5003編成「あかぎ」、5004編成「若葉」、5005編成「なの花」となっています。

どこの鉄道会社の系列にも属さない独立系の鉄道会社で、かつては平和相互銀行傘下でした。日本民間鉄道協会には非加盟。地元の流山市も数パーセント出資していますが、元々が町民が出資した町民鉄道を出発点としているためで、一般には第三セクターとは見なされません。流山〜馬橋間5.7kmを運営する小さな鉄道会社です。

簡単な割りには 歴史が長かったです

さっそくJR常磐線で馬橋駅にやってきました。

跨線橋を渡った向こう側に流鉄流山線馬橋駅があります。

JR常磐線ホームからはこんな看板が見えます。鉄道好きには、めちゃくちゃ”目立ち”ます。

おそらく、鉄道用品株式会社の所有になるワム285555、ボギーではない貨車を目にするのは博物館などを別にすれば2009年(平成21年)夏にJR東海多気駅で見たヨ8625以来です。

ちなみにこちらが2009年夏の多気駅ヨ8625。横にはシキ800の巨体が駐まっていました。

跨線橋で流鉄馬橋駅に向かう途中に上から撮りました。線路は繋がっていませんね。

跨線橋から階段を降りると流鉄馬橋駅です。交通系ICカードは使えません。オレンジ色の5002編成「流星」が停まっています。しかし、影の部分で本来のオレンジ色(それでも濃いめ)ですが、太陽光線が当たっている部分はほとんど黄色!

階段降りたところに貼ってあったトミーテックの広告。

駅名標。復路に撮ったので流山から乗って来た5003編成「あかぎ」が写っています。

木製のホーム屋根が気になりました。

馬橋駅を出発、住宅地の中を行きます。馬橋駅〜幸谷駅間1.7kmが流山線の中では最も距離があります。

JR武蔵野線の高架をくぐって幸谷駅に着きます。

駅手前の踏切を渡って右に武蔵野線の高架下を歩くとすぐに新松戸駅です。何とマンションの1階が駅になっています。

1973年(昭和48年)に武蔵野線新松戸駅が開業しましたが、幸谷駅はその12年前、1961年(昭和36年)に開業しています。当時は区画整備前で幸谷という地名を駅名にしました。奇妙なコトに幸谷駅の所在地は松戸市新松戸ですがJR新松戸駅の所在地は松戸市幸谷なのです。JRへの乗換客が多く、現在は流山線で最も乗降客数の多い駅になっています。

流鉄流山線に乗って意外だったのは横揺れが激しいコトでした。単純に前面展望の撮影がタイヘンだったという話なんですけど。

警笛を鳴らすと思ったら、警報器・遮断機の無い小さな踏切がいくつも有ります。右側には農家があって、それぞれが自宅用専用踏切の様でした。

流山線で唯一列車交換のできる小金城趾駅に着きます。

交換列車を待ちます。

と、本日はここまでです。【私鉄に乗ろう 29】流鉄流山線 その2 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)