5003編成「あかぎ」がやってきました。

信号が青に変わって出発です

坂川を渡ります

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鰭ヶ崎(ひれがさき)駅です。1916年(大正5年)開業。

駅名標です。

駅舎に改札口。1992年(平成4年)には1日平均乗車人員が2、145人でしたが、2015年(平成27年)には630人と3分の1以下に減っています。南西約0.9kmの場所に1973年(昭和48年)JR武蔵野線南流山駅が開業、同じ場所に2005年にはダイレクトに都心と結ぶつくばエクスプレスの駅が出来て多くの乗客がそちらに流れたこと、そして住宅化時代に移り住んできた住民の大半が定年退職して通勤需要がなくなったことなど乗客の減少には複数の要因がある様です。

駅の先に緑地が残っていますが、北西エリアは鰭ヶ崎地区土地区画整備事業区域になっていて、鰭ヶ崎三本松古墳、千仏堂、オオタカが飛来するという熊野神社周辺に広がる思井の森が破壊されて姿を消すらしいのです。嗚呼、もったいないなぁ。鰭ヶ崎という地名は9世紀の伝説に溯るという古くから人の住んで居る土地です。

敷地がイキナリ複線分になって、架線柱も複線で使える様になっています。1993年(平成5年)の年間利用者610万人越えの勢いが続いていたら運転本数を増やすための信号場を作る予定だった様です。しかし2012年(平成24年)には年間利用者が282.5万人と半分以下に減ってしまっています。空いた敷地は専ら資材などの置き場になっている様です。

複線可能な部分は1kmくらいあります。鰭ヶ崎駅〜平和台駅間は1.5kmあるのです。

右カーブの先に平和台駅です。

かつてはこの駅の南西側に陸軍糧秣本廠流山出張所があって引き込み線が敷かれ貨物輸送が行われていました。戦後は跡地に酒造工場が作られ、引き続き貨物輸送が行われていました。現在はイトーヨーカドーや県立高校になっています。終点の流山駅の車庫に駐まっている青い「流星」が見えます。

駅名標。

平和台駅で乗客のほとんどが降りてしまいました。

レンズを望遠にして流山方面を写してみました。平和台駅〜流山駅間は0.6kmで流山線の中で最も短いのです。

ふつうに見るとこんな感じです。

終点の流山に到着します。馬橋から10分少々でした。

島式ホーム1面2線の右奥に検車区があります。

と言ふ理由で次回【私鉄に乗ろう 29】流鉄流山線 その3 でたっぷり終端駅流山を眺めます。

(写真・記事/住田至朗)