※この「私鉄に乗ろう」の写真は、筆者がプライベートな旅で撮影したものです。鉄道会社さんから許可をいただいていませんので、乗車券があれば誰でも入れる場所から、手持ちで撮影したスナップ写真です。ポケットに入るコンパクト・デジタルカメラで撮影しています。撮影は2017年12月です。

万葉線株式会社

元は富山地方鉄道によって1948年(昭和23年)に地鉄高岡〜伏木港間が開業しました。1959年(昭和34年)加越能鉄道に譲渡されます。1971年(昭和46年)現在の路線になってワンマン化。1980年(昭和55年)に、高岡軌道線、新湊港線の愛称が「万葉線」になりました。2002年(平成14年)高岡市・新湊市(合併により現在は射水市)などによる第三セクター万葉線株式会社に経営が移管されて現在に至っています。

万葉線は高岡軌道線(高岡駅前停留場〜六渡寺駅)と新湊港線(六渡寺駅〜越ノ潟駅)の総称、運行は基本的に高岡駅前停留場〜越ノ潟駅で行われています。

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私事で恐縮ですが、5歳の頃、高岡大仏近くに母方の親戚が住んで居て、一夏預けられたことがあります。祖父が伏木の出身、祖母が高岡市内の出身だったのです。その頃も万葉線(名前は違いますが)には何度も乗った記憶があります。海に遊びに連れて行ってもらったのでしょう。

出発します

さて、富山駅前停留場は駅ビル内にあります。越ノ潟行の車両が入線しています。万葉線MLRV1000形電車、2車体連接・2台車方式の超低床電車です。2004年(平成16年)から営業運転が開始されました。以降6編成が万葉線に導入されています。

ここで、懐かしい写真をご覧いただきます。2005年(平成17年)7月に撮影した高岡駅です。万葉線の停留場が手前に見えています。新幹線以前、北陸本線の時代です。

冷房化されていないデ7000形、コカコーラのラッピング電車が駅前の停留場に停まっています。進行方向は左。

街の雰囲気が同じなので、12年の時間経過をあまり感じさせません。

2017年に戻って、MLRV1000形の運転台。この左側から前面展望を撮影します。

駅ビル内の停留場から出発しました。この運転士から色々とお話しを聞きながら。

まずは右にカーブして通りに出ます。

以前の停留場はこの辺りでしょうか。

併用軌道を走ります。この部分は単線。

0.5kmで末広町停留場、地名は末広「まち」ですが停留場は末広「ちょう」と呼ばれています。2008年(平成20年)開業の万葉線では一番新しい駅です。上り・下りが線路を挟んで向かい合っています。高岡の町は古くから浄土真宗系の仏壇・仏具を商う店が多くあります。

末広町を過ぎると交差点で右に曲がって国道156号線を走ります。

交換設備に見えますが、これが片原町停留場。路面に白線で安全地帯が標されているだけです。上り電車と交換します。末広町からわずか0.2kmです。

青い安全地帯には「電車のりば」と書かれています。

また0.2kmで坂下町停留場。見えています。

上り停留場は六渡寺側にズラして設置されています。右に300mで高岡大仏と案内が出ています。

0.4kmで救急医療センター前停留場。手前の交換設備の部分にあった停留場が2005年(平成17年)に100mほど六渡寺側に移動されたのです。

1948年(昭和23年)の開業時は、高岡市庁前でしたが、1977年(昭和52年)に本丸開館前に改称され、さらに2014年(平成26年)現在の救急医療センター前に改称されました。

0.4kmで広小路停留場です。ここから万葉線は複線になります。上り停留場が手前にあります。

この停留場も開業時(1948年)は湶町(あわらまち 難読ですね)でした。1958年(昭和33年)に広小路に改称されています。

広小路停留場横の路地を入ったところに手打ち蕎麦屋さんがあって(現在はカフェになっています)、10年以上前、たぶん2005年7月に写真を撮ったときでしょうか、その店で飲んでいて、偶然オヤジさんと仲良くなって、オヤジさんが自分用に作った”とっておきのゲンゲの煮こごり”などを肴にして一緒にたらふく飲んだ楽しい思い出があります。仕上げに食べた手打ち蕎麦の美味しかったこと!(酔っぱらったオヤジさんのサービスで超大盛り!)その時「お父さん、お酒はダメとお医者さんに言われているでしょ!」と心配していたお嬢さんが現在のカフェをやっているのかな。

懐かしい万葉線、【私鉄に乗ろう 37】万葉線 その2 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)