※この「私鉄に乗ろう」の写真は、筆者がプライベートな旅で撮影したものです。鉄道会社さんから許可をいただいていませんので、乗車券があれば誰でも入れる場所から、手持ちで撮影したスナップ写真です。ポケットに入るコンパクト・デジタルカメラで撮影しています。

甘木鉄道甘木線は旧国鉄特定地方交通線甘木線 その始まりは軍需輸送でした

1919年(大正8年)、マルセル・デュシャンがモナリザの絵はがきにヒゲを描き加えていた年に陸軍太刀洗飛行場が開設されました。軽便鉄道がありましたが、それでは輸送力に限界があるために「太刀洗飛行隊第4連隊鉄道引込線」が計画されたのが甘木線の始まりです。

1939年(昭和14年)に国有鉄道甘木線基山〜甘木間が開業しました。戦後は太刀洗飛行場跡にキリンビール福岡工場が作られ、その貨物輸送を担ってきましたがトラック輸送に切り替えられ1984年(昭和59年)に貨物営業が廃止されました。前後しますが、1981年(昭和56年)には第1次特定地方交通線として廃止が承認されます。1986年(昭和61年)朝倉市、基山町、キリンビールなどが出資する第三セクター甘木鉄道(株)が設立され国鉄甘木線を承継しました。2006年(平成18年)に大雨により鉄橋が被害を受け5ヶ月に渡って一部区間が不通になったことで利用者が減少し、原油価格の高騰などで赤字に転落しましたが、全国の第三セクター鉄道の中で赤字額は最少と健闘しています。

JR九州鹿児島本線基山駅〜甘木駅間13.7km 11駅 全線非電化単線

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鹿児島本線の基山駅で降りると東側に甘木鉄道のホームが見えます。基山から甘木まで25分と描いてありますね。

跨線橋で甘木鉄道の単式ホームに渡ります。トップ画像の甘木鉄道AR300形気動車(305)が到着して甘木行になります。左にJR九州鹿児島本線基山駅ホームが見えています。

AR300形は2001年(平成13年)から2006年(平成18年)にかけて、古くなった甘木鉄道AR100形レールバスを置き換えるために7両が製造されました。301〜303は富士重工製ですが、2004年(平成16年)に富士重工が鉄道車両製造から撤退したために304〜307は富士重工の事業を継承した新潟トランシスで製造されています。

旧国鉄急行気動車のカラーリングです。良いですねぇ。

右のJR九州鹿児島本線は電化されています。甘木鉄道は非電化です。

鹿児島本線と列んで南下しますが、甘木鉄道は東に離れてゆきます。

さらにカーブして東に向かいます。

直線で地上に降りて右に曲がって南下します。

右カーブの途中に立野駅、九州自動車道の高架下に駅があります。基山駅から1.3km。

斜めですが駅名標。周囲に工場が多いので工場のマークが付いています。1987年(昭和62年)甘木鉄道になってから開業しています。

立野駅から1.2kmで2003年(平成15年)に設けられた大原信号場。周囲は農地で人家が無いので駅が作られることはなさそうです。

「ありゃ、信号場だ」と前面展望を撮りながら呟いたら、気さくな運転士さんが「朝のラッシュ時には列車交換するよ」と教えてくれました。

大分自動車道の高架下に筑後小郡駅ホームが有りました。1986年(昭和61年)甘木鉄道に転換後約500m甘木寄りに移転しています。

ホームと待合室が残っています。

立野駅から2.5kmで1986年(昭和61年)に移転された小郡駅です。駅名も筑後小郡から小郡に改称されています。西鉄天神大牟田線小郡駅との乗換の利便性を考慮しての移転です。西鉄側も従来の出口から90m甘木鉄道寄りに新たな出口を新設したので筑後小郡駅時代は600mあった乗換が120mに短縮されています。

駅名標。「七夕の里」とあります。小郡市内に七夕神社があります。

小郡と言えばJR西日本山陽本線・山口線・宇部線の小郡駅を思い浮かべてしまいます。2003年に新山口駅に改称されました。個人的には小郡という駅名に郷愁を覚えます。新山口では些か味気がないですよね。写真は新山口駅ホームに立つメモリアル。

話がJR西日本にいってしまったところで、次回【私鉄に乗ろう 45】甘木鉄道甘木線 その2 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)