【私鉄に乗ろう 60】長崎電気軌道 その5

2018.07.05

実は長崎駅前から正覚寺下に向かう1号系統はモロに逆光でした。前面展望が”まるでダメ男”(わかないよなぁ)なので、終点の正覚寺下から長崎駅前を撮ったものを紹介します。

これが長崎駅前〜赤迫〜長崎駅前〜正覚寺下まで乗って来た長崎電気軌道1800形電車1801。2000年に登場しました。台車と主電動機は西鉄北九州線600形の廃車発生品を流用。同様に作られた長崎電気軌道600形に準じた基本性能ですが外観は異なります。幅が50mm、全長も440mm伸ばされ12mを超える車両となりました。前照灯・尾灯は1700形の丸型から角型になりました。正面デザインは広島電鉄5000形に似ています。1801ー1803の3両が稼働中。

駅名標。1968年(昭和43年)思案橋からの延伸によって開業しました。1号・4号系統の終点です。

正覚寺下は不思議な停留場で川の上にホームがあります。

凄く簡単な終端部。

1面1線のホームしかないため、到着した電車はソソクサと折り返します。停留場を出発すれば複線です。

遠くに正覚寺下行が来ています。

0.3kmで、演歌の歌詞でしか知らない思案橋です。橋自体は当地にあった丸山遊郭へと渡る橋で「行くか戻るか」思案したので「思案橋」。川が暗渠になり橋は現存しません。

原爆投下によって長崎電気軌道は全線が不通になりました。長崎駅前〜西浜町〜蛍茶屋の復旧が優先され、西浜町から思案橋までの区間が後回しになっている間に軌道上に闇市が立ち並び、再開は1953年(昭和28年)までかかりました。正覚寺下まで延伸されたのは1968年(昭和43年)です。

グネグネ曲がりながら。

0.2kmで観光通り停留場。1921年(大正10年)に開業した時は銅座町停留場でした。1930年(昭和5年)に近隣の商店街から柳通停留場に改称されました。戦時下で停留場は廃止されました。1953年(昭和28年)に再開された時に、名称の変わった商店街に合わせて観光通り停留場と改称されました。

長崎の南の繁華街を通っています。次回【私鉄に乗ろう 60】長崎電気軌道 その6 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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