阪神淡路大震災後に導入された阪神9000系車両とすれ違います。近鉄線直通対応改造車両です。

1.3kmで今津駅。高架駅になって初めて来ました。地上駅時代は阪急今津線と線路が繋がっていて、SF作家かんべむさし氏の『決戦・日本シリーズ』で描かれたのは、まだセリーグの阪神タイガースとパリーグの阪急ブレーブスが存在していた時代、日本シリーズで勝った球団がそれぞれの阪神or阪急電車に乗り、今津駅から相手の線路に乗り込み祝勝パレードをするという内容だったという記憶があります。今は昔です。(こればっかですみません)今津駅前に母の実家で働いていたお婆ちゃん(母の実家で成人して嫁入りさせたというお手伝いさん)の婚家があって子供の頃、何度か遊びに行きました。地上駅が懐かしいな。

阪急今津線で宝塚の方に行くと、母の兄(伯父)の家があったので、よく乗り換えて行っていました。当時の阪急西宮北口駅はダイヤモンドクロッシングで阪急神戸本線とクロスしていたので、ソコを通るのがすごく楽しみでした。1984年(昭和59年)にダイヤモンドクロッシングは消滅してしまいました。

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駅名標。歴史的には阪急今津線が今津港への延伸を考慮して西宮北口から南下して、1926年(昭和元年)今津駅を開業。阪神側は現在の久寿川駅が今津駅を名乗っていました。同年、接続駅として阪神今津駅が開業。初代今津駅は久寿川駅に改称されました。1998〜2001年に駅の高架化工事が行われました。これで阪神・阪急のレールは分断されましたが、現在も高速神戸線部分で阪神と阪急は相互乗り入れが物理的には可能です。

地上駅の久寿川に向かって下ってゆきます。

0.6kmで久寿川駅。手前の頭上を名神高速道路が横切っています。

相対式ホーム2面2線。今津駅の所に書いた様に、1905年(明治38年)の開業時は今津駅(初代)でしたが、1926年(昭和元年)に阪急との接続駅として今津駅(二代目)が開設されたので久寿川駅になっています。

駅名標。中途半端な位置にありますが、車内が混んできたのでさ〜っと移動して撮るという芸当が出来ません。

懐かしい甲子園駅。0歳の頃から何度も乗り降りしてきました。白球をイメージしたという大屋根が目立ちます。

島式ホーム2面4線の下り線外側に降車専用ホームが単式で1面あります。甲子園球場で野球開催時の多客用臨時ホームで普段は使われません。

駅名標。1924年(大正13年)完成した甲子園球場オープンに合わせて臨時駅として開業しました。1926年(昭和元年)路面電車の甲子園線が浜甲子園まで開通。1928年(昭和3年)には甲子園線が上甲子園まで開業。阪神国道線と接続しました。1935年(昭和10年)阪神タイガース(当時は大阪タイガース)誕生。1965年(昭和40年)西口改札設置。1975年(昭和50年)甲子園線廃止。この頃から徐々に祖父の家に行かなくなりました。1980年代まで甲子園線ホームにあった駅そばは営業していました。しかし駅が全面的に改修されて昔の面影は無くなってしまいました。それも行かなくなった理由の1つです。

昔の甲子園駅を懐かしんでしまいました。【私鉄に乗ろう94】阪神電車 その7 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)