東側の大阪文化圏と西側の神戸・西宮文化圏【私鉄に乗ろう94】阪神電車 その8

2019.10.08

電車のいない武庫川橋梁上ホーム。

武庫川、上流側を見ています。この川が実質的に東側の大阪文化圏と西側の神戸・西宮文化圏を分ける分水嶺です。

ホームから西側に通路を歩いてゆきます。武庫川線を含む駅舎は神戸側河岸(右岸)にあるのです。

武庫川線の車両が駐めてある上を進みます。左手前に分岐していて踏切がフェンスで囲まれている線は、武庫川信号場で本線から分岐した線路です。奥に進んでスイッチ・バックします。右は河岸の木々。

武庫川駅舎。左上が本線、奥に武庫川線ホームがあります。ここまで今朝購入した山陽電車のフリー乗車券で来たので乗越清算をして外に出ました。実に久しぶりの一服。兵庫医大病院があるので調剤薬局は複数ありますが、手軽に食べることの出来そうな食堂は見当たりません。空腹は限界を超えています。

切符を買って武庫川線のホームに。

駅名標。そもそも武庫川線は軍需路線として敷かれた路線です。

1943年(昭和18年)現在の武庫川団地の場所にあった軍需工場川西航空機に資材と従業員を運ぶために阪神の一般社員や学生による勤労奉仕隊などを動員した突貫工事で建設されました。武庫川〜洲先間が先に開通、翌1944年(昭和19年)には武庫川〜武庫大橋間も開業。JR東海道本線から武庫大橋まで貨物線が敷設され、武庫大橋から洲先までは三線軌条で貨物列車も運行されました。

しかし、戦局の悪化と共に空襲が激しくなり川西航空機と同時に空襲を受け1年も使われないうちに終戦を迎えました。戦後は川西航空機を接収した米軍の要請で貨物輸送は継続されましたが、1958年(昭和33年)正式に休止されました。

旅客運輸は1948年(昭和23年)武庫川〜洲先間1.1kmで再開。1984年(昭和59年)には武庫川団地の開発にともなって現在の武庫川団地前駅まで延伸されました。武庫川〜武庫大橋間は廃止されましたが、阪神本線との合流用の引き込み線部分が残され、他の部分は売却されて住宅が並んでいます。

今は本線では見かけなくなった”赤胴”車両が走っています。7864-7964編成は、阪神7801・7901形の派生形式。

車内銘板。1970’(昭和45年)製造、翌年に改造されています。正に1970年代の雰囲気を色濃く残している車両です。筆者が高校生の頃です。

全線で1.7kmと短く、最高速度も45km/hに制限されています。単線です。

0.7kmで東鳴尾駅。

では、空腹のまま【私鉄に乗ろう94】阪神電車 その9 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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