駅名標。1905年(明治38年)の開業です。地上駅時代に国道線への連絡線があったというのは記憶にありません。それもそのはずで連絡線では旅客営業をしていなかったのです。

周囲は、工場、商店街、飲食街、住宅街が渾然一体となっています。古い工場や、狭い飲み屋横丁などなかなかディープな町です。この駅までが兵庫県尼崎市。武庫川から東は「ディープな大阪」だと勝手に解釈していましたが、兵庫県内なのです。

左門殿川、川と呼ばれていますが実際は運河。この川が兵庫県と大阪府の県境。「左門殿」というのは尼崎城主だった戸田左門氏鉄、徳川家康の家臣。大阪夏の陣の後、近江膳所藩主から摂津尼崎5万石に移封。後に美濃大垣10万石に移封された。尼崎藩時代に河川を改修し洪水禍から領民を救ったことで「左門殿川」と呼ばれる様になりました。

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左門殿川を渡って、大阪府大阪市西淀川区に入り千船駅。杭瀬駅からは0.9km。この駅も高架化されたので昔の面影はありません。

島式ホーム2面4線。下りの各駅停車が停まっています。

駅名標。1921年(大正10年)開業。1905年(明治38年)開業の佃駅と大和田駅を統合して設置されました。神崎川を挟んで手前が佃、渡った辺りが大和田という地名です。子供の頃は、この神崎川がすごく汚れていて臭かったのを覚えています。今は臭気などありませんし川の水もはるかにキレイになっています。

神崎川を渡ると阪神高速3号線と並走します。

高架線が続きます。昔はもっとゴミゴミした町工場の並ぶ町、という印象でした。エアコン以前の電車では窓が開いていて、独特の金属が焦げる様な臭いがしたことを覚えています。現在の車窓とはかなり印象が異なっていました。

1.5kmで姫島駅。この駅もホームがカーブしています。

駅名標。1905年(明治38年)に稗島(ひえじま)駅として開業。1925年(大正14年)姫島駅に改称。平均乗降人員は、13,224人/日(2016年阪神電車調べ)

姫島駅を出ると淀川橋梁。この橋梁は架け替えられています。何度か古い橋梁を渡っていた時に隣に新しい橋を架橋しているのを見た記憶があります。でもネットで調べてもその記事に当たらないので筆者の記憶違いかもしれません・・・。

子供の頃、何と言っても長い鉄橋があこがれでした。以前にも書きましたが、2歳から育った東京の西側には多摩川くらいしか大きな川がない上に、当時は多摩川を渡ることなんてほとんど無かったのです。阪神電車に乗って淀川を渡るのを楽しみにしていました。

淀川を渡ると淀川駅。姫島駅から1.1km。淀川の北側は淀川区ですが、南側の淀川駅は福島区にあります。

では、【私鉄に乗ろう94】阪神電車 その14 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)