扇型機関庫全景。

1958年(昭和33年)の国鉄全営業キロ約2万キロで電化されていたのは約10%程度、2,237kmに過ぎません。1万8千キロもの非電化区間の動力車は、圧倒的に蒸気機関車でした。何と4,515両もあったのです。

何故こんなに多くの蒸気機関車が必要だったかと言うと、蒸気機関車は距離に応じて石炭と水の頻繁な補給が必要な上に、定期的に石炭の燃えかすを掃除しなければならず、走行距離を短く設定せざるを得なかったからです。しかも燃料効率が悪く、ディーゼル機関車のDD51形と蒸気機関車C61形の単純比較でも1km当たりの燃料コストは蒸気機関車が倍以上かかっていたのです。

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相対的にスピードも遅かったので、1960年代には驚くほどの夜行列車が日本中を終夜走り続けていました。戦後、そんな時代が長く続いていたのです。

1960年(昭和35年)から始まった旧国鉄の動力近代化で1975年(昭和50年)度には蒸気機関車は実質的にほぼ全廃されました。蒸気機関車は運転する方向が決まっているために転車台や扇型機関庫が必要でした。しかし、ディーゼル機関車やディーゼルカーには転車台も扇型の機関庫も不要です。

豊後森機関庫も1971年(昭和46年)には廃止されました。国鉄分割民営化の後、日本国有鉄道清算事業団によって扇型機関庫の線路は剥がされ、転車台と機関庫も解体が決まっていました(ミュージアムの方のお話しです)が2001年(平成13年)地元の有志による保存委員会が結成され、2012年(平成24年)には国の登録有形文化財に登録されました。

2006年(平成18年)には玖珠町がJR九州から旧機関庫と敷地10,200㎡を買収。豊後森機関庫公園として整備されています。

機関庫の裏側。井戸用ポンプも懐かしい。

機関庫にむかって線路が延びています。

豊後森ミニトレイン倶楽部によるミニ列車が、3月〜11月の日曜日12:00〜16:00に運転されています。

豊後森機関庫駅と描かれています。車両庫かな。

ホンモノの豊後森機関庫と同じ12本!この転車台も凄い。

豊後森機関庫公園・ミュージアム【鉄の一瞥 75】その3 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)