【norijiの鉄視点 019】自由をもたらしたのはアラカチのシードラゴン_Mangueira 2019 詩に込められた想い(2)
前回に引き続き、ブラジル・リオのカーニバルの2019年優勝チーム、マンゲイラのパレードソングの歌詞について解説していきます。
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Brasil, o teu nome é Dandara
E a tua cara é de cariri
Não veio do céu
Nem das mãos de Isabel
A liberdade é um dragão do mar de Aracati
ブラジル、君の名はダンダラ
カリリの者の顔
自由は空から降ってきたのではなく
イザベルの手から授かったのでもない
自由をもたらしたのはアラカチのシー・ドラゴン
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16世紀から19世紀にかけて、アフリカ大陸から多くの人々が、奴隷として売られるためにブラジルへ連れて来られました。
その中で、過酷な状況から逃げ出して内陸奥地に共同体(※ポルトガル語でキロンボという)を築く者も出てきました。
そのキロンボの中でも最大規模だったキロンボ・ドス・パルマーレスの、滅亡前最後のリーダーだったのが Zumbi dos Palmares(ズンビー・ドス・パルマーレス)です。
先住民 Cariri 部族と、歴史書に載らない英雄がいた港町 Aracati
(左:バイーア州サルヴァドール市にあるズンビー・ドス・パルマーレスの銅像/右:同市の博物館に展示されていた奴隷船のレプリカ)
先代の王で、実の叔父でもあったガンガ・ズンバがポルトガルと和平協定を結ぼうとしていたところ反発し、彼の殺害を企てて王座を奪還したというエピソードもあることから(※諸説あり)、ズンビーの行動には賛否両論あり、「真の英雄だったのか、裏切り者だったのか」という議論は未だに続いているのですが…。
それでも黒人の血を引く者の権利を諦めず主張し、戦い抜いたというイメージの方が根強く、今でも多くのブラジル人にとって英雄的存在です。
彼は結局ポルトガル軍に処刑されてしまうのですが、命日である11月20日は「黒人意識の日」として国の記念日となっており、ブラジル国内約1000都市では祝日に制定されています。
また、エリス・レジーナやジルベルト・ジルなど多くのミュージシャンが彼をオマージュした楽曲を歌っています。
そして、そのズンビー・ドス・パルマーレスの妻が Dandara(ダンダラ)です。
彼女については書面で残されている情報は少ないのですが、ズンビー同様、キロンボに逃亡してきた黒人や先住民のために、オランダやポルトガルの侵略軍と戦った勇者。
なかなか教科書にも出てこず、スポットライトが当たりにくい人物ですが、戦う女性のシンボルとして敬われている一人なのです。
次に歌詞に出てくる Cariri(カリリ)は先住民の部族の名前。ブラジル北東部の広範囲に暮らしていたと言われています。
1683〜1713年、特にセアラー州にいたカリリを中心として、先住民の土地に侵略してきたポルトガルへの反乱が起きました。
30年にもわたる長い戦いは、他の部族も奮起させ、ペルナンブーコ州、ピアウイ州、リオグランデドノルテ州、セアラー州やパライーバ州と広範囲に広がりました。
奴隷にされたり、土地を奪われたりと搾取に苦しまされてきた先住民。
今でこそ、彼らの文化と利益を保護するためのFUNAI(国立先住民保護財団)という機関はありますが、開発業者や警官隊に襲撃される事件も多発し、立場は非常に弱いです。
さらに今年1月1日に大統領に就任したボウソナロ氏が、資源開発目的で「先住民の保護区を開拓する」と発言しており、今後の動向は世界からも注目されているところです。
さて、もう一人歌詞に登場する“歴史書に載らない英雄”が、ブラジルの北東部にあるセアラー州・アラカチという町で、「海のドラゴン」(Dragão do Mar)と呼ばれた男性。
本名は Francisco José do Nascimento(フランシスコ・ジョゼ・ド・ナシメント/1839-1914)、またの名を Chico da Matilde(シコ・ダ・マチウヂ)といいます。
セアラー州のアラカチは、アフリカからの奴隷船がつく船着場があり、そこから南部へと売られるルートになっていました。
そこを仕切る船乗りであった彼は「アラカチにはもう奴隷を入れさせない!」と奴隷制に反発。
彼が率いた反対運動も実を結び、当時の皇女イザベルがブラジル国内の奴隷制廃止宣言をする4年前の1884年に、“海のドラゴン”がいたセアラー州は奴隷制廃止に至ったのです。
今では彼の愛称「Dragão do Mar」を冠する通りや州立学校、美術・文化センターもあります。
そしてリオデジャネイロの鉄道に乗って想う
せっかくなのでリオデジャネイロの鉄道の話!
今回紹介するのはVLT(英語でいうところのLRT)。オリンピック・パラリンピックがきっかけで敷設された路面電車です。
2018年1月15日 #ブラジル #リオデジャネイロ Museu do Amanhã(明日の博物館)とVLT(路面電車)
連写写真を勝手にgoogleフォトがGIFにしてくれました。
昼間はまぁまぁ天気よかったけど、急に雨が降ってきて、空が不思議な色になった日。 pic.twitter.com/6VHlWfLhuO
— noriji (@norijino) 2019年4月8日
フランスの鉄道会社アルストム(Alstom)と提携して整備され、2016年6月5日(オリンピック開会のギリギリ2か月前!)に運行開始しました。
一部の車両はフランスで作られ、車両の大掛かりな輸送も当時ニュースになりました。
そのVLTが通るルートの一部である港湾地区、元は奴隷売買が行われていた場所。
1831年に奴隷貿易の禁止(※奴隷制廃止は1888年)が言い渡されてから、ブラジル各地に散らばっていたアフリカ出身者が職を求めてこの地に集ったこともあり、この地区は「リトル・アフリカ」とも呼ばれています。
以前は、お世辞にも安全とは言えない場所でしたが、
今では再開発によってすっかりきれいになり、博物館やグルメスポットもできて観光客が多く訪れる人気スポットになりました。
トップ写真は、その港湾地区にある「世界最大のウォールアート」としてギネスにも認定された、エドゥアルド・コブラ氏の作品「Etnias」をバックに撮ったVLTの写真。
オリンピックの五輪からインスピレーションを受け、五大陸の先住民の顔が描かれており、その根底に流れるものはこのパレードソングにも通ずるものがあると思います。
民族や人種、性別などの立場を超えて人々が互いを思いやれるような、平和な世界になることを祈るばかりです。
<noriji>
ライター・ポルトガル語通訳・翻訳・DJ。ブラジル音楽フリーペーパー(https://www.jornalcordel.com)2代目編集長。’15-17リオデジャネイロで日本人宿。リオ観光サイトRio Tips(https://brasiltips.com/rio/)管理人。ウートピ、ラティーナ等に寄稿。中国語勉強中。(記事中のすべての画像は noriji 撮影)
⚡️ "noriji活動クリップ" 私の活動の一部をまとめました。何もかもブラジル。全方向に感謝。https://t.co/WXlqmxdpFm
— noriji (@norijino) April 5, 2018