2019年リオのカーニバル優勝チーム「マンゲイラ」の歌詞解説シリーズ第3弾です。

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Salve os caboclos de julho
Quem foi de aço nos anos de chumbo
Brasil, chegou a vez
De ouvir as Marias, Mahins, Marielles, malês

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7月のカボクロ達に喝采を
鉛の時代に鋼を貫いた者達を称えよ
ブラジルよ、時が来た
マリア、マイン、マリエリ、マレー達の声を聞く時が

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18世紀後半、ポルトガル統治下のブラジルで、バイーア州の独立のための反乱が起きました。

バイーア州にあるサルヴァドール市が1763年まで首都であったことや、奴隷を輸入する港が多くあったこともあり、支配者層が幅を利かせているエリアでした。

独立運動の機運が高まり、ポルトガルからの攻撃を受けながらも、1823年7月2日に独立を一時的に達成。

Caboclo(カボクロ)と呼ばれる先住民の一団も、この独立に大きく貢献しました。

この反乱の中心が、エリート層ではなく自由身分の黒人や奴隷、先住民などの身分の低い者たちであったことが、歴史的には重要なポイントです。

7月2日は「独立記念日」として、今でもバイーア州各地で祝われています。

次に出てくる鋼の者とは、60年代〜70年代の軍事独裁政権に対抗した影のヒーローたちのこと。

ジャーナリストのウラジミール・ヘルツォーク、ゲリラ隊の一員であったスチュアート・アンジェル、マルクス主義革命家のカルロス・マリゲーラなどの名前が挙がるでしょう。

約20年続いた軍政下で、左翼活動家や政治的発言をするアーティスト、運動家らに対する拷問、逮捕、暗殺などがありましたが、ことし1月に就任したボウソナロ新大統領は軍政や拷問を肯定する発言を繰り返し、反対派からは「また軍政に戻ってしまうのでは」と不安視する声も出ています。

「ブラジルよ、マリア、マイン、マリエリ、マレー達の声を聞く時が来た」

マリアとはMaria Filipa(マリア・フィリパ)のこと。

先述したバイーア独立運動における闘いで、約200人ものグループを先導した女性です。スーダンから奴隷として連れてこられた人々の子孫と言われています。

マインとはLuísa Mahin(ルイーザ・マイン)のことで、こちらも奴隷制に対抗して闘った黒人女性。

マレーとは、アフリカ出身でイスラム系の人々の総称。

1835年、バイーア州サルヴァドール市で自由を求めて反乱(マレーの乱)を起こしました。

ブラジルはカトリック信者が6割以上、プロテスタントが約2割と言われています。

国内では少数派であるものの、イスラム教やその他、様々な宗教の信者が共存している国。

信仰が違ってもリスペクトしあうべきだというメッセージも込められているのではないでしょうか。

そしてマリエリ。Marielle Franco(マリエリ・フランコ)のことです。

リオデジャネイロのファベーラ(貧民街)出身、黒人で、同性愛者であることを公言していました。

白人男性が大半を占めるブラジルの政界で、政治家として少数派の人権啓発のために闘っていましたが、2018年3月14日銃撃により暗殺されてしまいます。

サンバチームのメンバーも、大半は低所得者層が多く住むエリアの出身。

パレードする人々の感情が乗ったパレードは、観る者の心に強く訴えかけることになりました。

サンタ・テレーザ地区のシンボル、黄色い路面電車に乗って

リオデジャネイロの鉄道ネタを紹介。

サンタ・テレーザの丘と、リオデジャネイロの街の中心部を結ぶ黄色い路面電車は、1896年に運行開始した市民の足。

最近では観光客にも人気のスポットです。

2011年に車両転倒事故があり、約4年間運行を停止していましたが、2015年に運転再開しました。

このサンタ・テレーザ地区のシンボルとして、住民たちにとても愛されているのです。

雑貨屋さんには黄色い電車をモチーフとしたお土産や作品が並び、飲食店にも模型が置いてあったりします。

トップ写真は、街の中心にある乗り場から丘へ行く途中、電車が白い水道橋をわたるところ。

上から観る風景はこの動画のようになっています。

<noriji> ライター・ポルトガル語通訳・翻訳・DJ。ブラジル音楽フリーペーパー(https://www.jornalcordel.com)2代目編集長。’15-17リオデジャネイロで日本人宿。リオ観光サイトRio Tips(https://brasiltips.com/rio/)管理人。ウートピ、ラティーナ等に寄稿。中国語勉強中。(記事中のすべての画像は noriji 撮影)