読鉄全書 池内紀・松本典久 編 東京書籍【鉄の本棚 23】その1
既に【鉄の本棚】で言及した本ですが、改めて中身を紹介します。本書は、ミステリで言えば”Armchair Detective”、現場に赴くことなく事件を解決する探偵、あるいはその様な探偵が主人公の小説の趣を鉄道旅に置き換えたモノです。
「まえがき」で、編者の池内紀さんが実際に出かけるのでは無く「書物旅行」、つまり「乗鉄」ならぬ「読鉄」であると書いています。
難しい話ではありません。他人の鉄道旅行記を読んで自分も旅をした気分に浸るというダケのことです。ただし「他人の鉄道旅行記」の質(クオリティー)に拘ったコレクションなのです。
最初は、当然内田百閒先生の阿房列車です。言うまでも無く『乗り鉄』の聖書。単行本で言えば『第三阿房列車』に収められた「房総阿房列車」が登場します。
1953年師走、千葉の旅です。当時電化されていたのは総武線の千葉までのみで、他は非電化。蒸気機関車に牽かれての旅でした。旅程は
一日目 両国始発の総武本線で千葉、千葉から成東を経由して銚子、そこからはクルマで犬吠埼
二日目 銚子から成田線で成田を経て千葉に戻る
三日目 千葉から房総西線(現・内房線)で館山を経て安房鴨川
四日目 安房鴨川から房総東線(現・外房線)で勝浦、大網を経て千葉、稲毛に至る
五日目 帰宅
・・・の予定。百閒先生、家来のヒマラヤ山系氏を同道して市ヶ谷の自宅からクルマで両国駅に。初日の旅程、今なら2時間40分ほどです。犬吠埼の宿に着いて風呂にも入らずすぐに呑み始めます。
百閒先生は風呂があまり好きではない様です。温泉も嫌い。困った爺さんです。と言っても1953年(昭和28年)に1889年(明治22年)生まれの内田百閒は64歳、現在ならとても爺さんとは呼べない年齢です。
翌朝、朝食を食べない百閒先生は牛乳を1本のんでお仕舞い。しかし汽車は3時前なので、仕方無く昼食を食べますが、先生は宿の昼膳など食べません。パンが食べたいとワガママを言いますが、1953年(昭和28年)です、犬吠埼の旅館には紅茶も珈琲も無く(先生が飲んだ牛乳は女中さんの私用で1本だけあったのでした)、バターも無いのです。買ってこさせた食パンに塩を付けてほうじ茶で食べます。
ワガママなのか痩せ我慢なのか判然としません。阿房列車の旅はいつもこんな感じです。
ちょっとダケ汽車に乗って夕方からは宿で一献の毎日ですが、四日目の稲毛の宿がヒドイので百閒先生の「神速果敢なる決心」で逃げだし、時間も早いので電車で帰京します。つまり帰宅しようと思えば帰れる稲毛の宿で一献してる方が奇妙なのですが、元々用事の無い旅なのです。
(写真・記事/住田至朗)