読鉄全書 池内紀・松本典久 編 東京書籍【鉄の本棚 23】その2

2019.06.08

次は関川夏央さんの「汽車は永遠に岡山に着かないー内田百閒」。

阿房列車とは、阿呆(あほう)ではなく始皇帝の壮大な無駄遣い「阿呆宮」からとった「まったく実用性のない贅沢な遊び」だということです。

『阿房列車』は、全体が百閒老人の「わがままの記録」だとも言える。しかし彼はこのときまだ六十一歳。なのに老人としてふるまえ、かつ「文士」のわがままを世間がみとめてくれた「よい時代の記録」でもある。本書 p.42

阿房列車冒頭の「特別阿房列車」で百閒先生は予め切符を買ってしまうと、その切符に自分の行動が拘束される。それがイヤなので当日、東京駅で切符を買って「特急はと」に乗りたい。

いざ意を決して東京駅に行くと切符は全て売り切れています。

「かねて期したる所なれば、この儘家路に立返り、またあした出なおすに若くはない」はずだが、「今までのはずみで、どうもそうは行かない」と百閒はいう。
「何が何でも是が非でも、満員でも売り切れでも、乗っている人を降ろしても構わないから、是非今日、そう思った時間にたちたい」
老人はわがままでせっかちなのである。 本書 p.46

結局、家来のヒマラヤ山系(国鉄職員)を前に立て東京駅長に泣きついて一等席2枚を入手して大阪に向かいます。全く世話が焼けるのです。

いずれにしても、内田百閒というのはある種の「特異」なのです。関川夏央さんは、冷ややかに、同時に同情をこめてこの奇矯な作家の阿房列車を語ります。

全部で六十枚弱の「特別阿房列車」のうち発車するまでに四十枚かかっている。大阪までの道中が十枚、だいたい食堂車でビールを飲んでいる。いつの間にか大阪へ着く。宿屋はやっぱり駅長室で紹介してもらった。翌日の「はと」の上りの切符は平山三郎が「なんとかした」。そこらあたりが最後の十枚である。
〈中略〉
「一等」に象徴されるような戦前的階層が生きのびていた時代、そして老人であることそれ自体が「文士」にとっては権力の源であった時代の懐かしいにおいがそこにある。本書 p.48-49

『第一阿房列車』には、次いで「区間阿房列車」が”運転”されます。これがまた可笑しい。1951年(昭和26年)3月10日、東京11時00分発329列車に乗って列車が定刻より遅れて国府津に着きます。戦前、東海道本線が御殿場線だった時代を懐かしむために御殿場線に乗り換えますが「乗ってきた列車が遅れたのは自分のセイではない」ので階段の上り下りを急ぐことを百閒先生は拒否します。さらにホームで走り出した御殿場線が徐行して乗客を乗せていることに「ムッ」とします。

百閒は意地でも急がない。「動き出している汽車に乗ってはいけない」「乗ろうと考えてもいけない」と「昔からそう云う風に鉄道なり駅から、しつけられている」からだ。本書 p.51

その結果二人は雨のザアザア降るホームのベンチに座って2時間後の御殿場線を待ちます。百閒先生は阿房列車の文中で「気違いが養生している様に見えるだろう」と自嘲しています。

別稿でも書きましたが『阿房列車』は実物を読むのが一番だと思います。

とにかく、関川夏央さんご自身が無類の鉄道好き。『汽車旅放浪記』(この文章はこの本に収められています)『寝台急行「昭和」行』など鉄道系の著作もあります。というか私は『貧民夜想会』(双葉社 1986)以来のファンで、それ以降の著作はほとんど読んでいます。最近はNHKに出演したりマトモな文化人になって些かこちらが鼻白んでいますが。

面白いので、読鉄全書、ユックリ読み進めます。

(写真・記事/住田至朗)


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