大狩部駅2・日高本線の駅02【50代から始めた鉄道趣味】その54
※今回はレンタカーで鉄道休止区間を回っているため鉄道車両の写真は基本的に撮れません。通常は鉄道車両をトップ画像に使いますが、今回はこのような理由で不可能です。悪しからずご了承ください。
待合室のベンチにポツンと駅ノートがありました。筆者は駅ノートに書きこむ習慣はありませんが、大狩部駅の様に個人的にも思い入れのある駅の場合「鉄道チャンネル来ました」と記したくなります。例外的に芸備線の布原駅など、「鉄道チャンネル来ました」と記入した駅ノートもあります。鉄道チャンネルだからと言って個々の記者が全ての駅に降りたっているワケではモチロンないのです。
暗くなると待合室にも灯りが点るのでしょうが、この駅で夜間に一人で列車を待つのはちょっと怖い様な気もします。
手前の階段でホームに降ります。JRにはホームの前が海という駅が幾つかありますが、大狩部駅は海との距離が最も近い駅の1つですね。もちろん日高本線の中でもビーチサイドという点では屈指。
階段の下、ホームは砂利敷き。眼の前はいずれにしても「海」以外は何もありません。極めてサッパリした眺望です。こうして大洋を前にすると、日々の瑣事で悩むコトがつまらなく感じられます。ふと、日常的に海を見て暮らすと人生は違ったものになるんじゃないかな、なんて思っちゃいます。ふだん広く視界の開ける場所で暮らしていないからこんなことを考えてしまうのかな。
ホームから苫小牧方面を見ます。大狩部駅は1958年(昭和33年)開業。当初から無人駅です。待合室の後方、国道が見えます。時折大型トラックが通過する音が聞こえます。
線路が先の方で奇妙に捻れています。
望遠で寄ってみると悲惨な状態でした。鋼鉄の線路が飴の様にグニャグニャになっているのです。とても強い力が加わったことが分かります。高波被害の最も激甚な場所じゃないかと感じました。いずれにしても路盤や線路だけを直してもダメで、基本の護岸工事が必要とのことで、この点が復旧の大きな壁になっています。
こちらは様似方面。
既出ですが、こちらも先の方でレールがグニャグニャになっていました。海側にコンクリートの構造物も見えていますが、その手前の部分で高波を被ったのですね。この区間は1926年(昭和元年)日高拓殖鉄道時代に開通しています。爾来約90年の間、これほどの高波には襲われなかったということでしょうか。言い換えれば、100年に一度の異常気象だったとも言えます。
人の気配はありません。海風だけがビュウウビュウと吹抜ける中、この駅に、もう来ることもないのだろうなぁ、と少しセンチメンタルな気分になりました。それでも、燦々と太陽が輝いて、目前に広がる海が真っ青なら、感じる空気も異なるのでしょうが・・・。曇天の下、しばらく佇んでいました。
国道をくぐるトンネルを抜けて次の駅に向かいます。
個人的な思い入れのある大狩部駅からスタートできてよかった!
(写真・記事/住田至朗)