ウミネコの糞避けの傘 晩夏鉄道旅顛末記4【50代から始めた鉄道趣味】150

2019.11.17

※2009年9月撮影

トップ画像は2009年9月侍浜駅ホームに停車するキハ40系3両編成。ホームにお客さんがしゃがんでいます。いったい何をしているのかは不明です。左に小さな駅舎も見えています。

侍浜駅は、八戸線の最高地点で標高が約155m、隣の陸中夏井駅(標高約9m)から7.3kmで146mを登ってくるのです。駅間の平均が20パーミルという勾配になります。蒸気機関車(C58?)の時代にはとんでもない難所だったでしょうね。

2019年8月に戻ります。鮫駅の駅舎。1924年(大正13年)のオリジナル駅舎は1929年(昭和4年)に全焼してしまいました。その後再建、1939年(昭和14年)に改修。鮫駅は八戸市街の端にあたっているため、八戸駅~鮫駅間で折返し運転される列車も多く設定されています。この先から八戸線は三陸海岸に沿って走ります。

駅名標。隣駅の表示部分には蕪島の蕪嶋神社の写真が使われています。鮫駅は1924年(大正13年)国有鉄道の駅として開業しました。かつてはキヨスクもありましたが2006年(平成18年)に閉店。

この写真は2019年4月に久慈駅から八戸駅に向かっていた時の鮫駅の前面展望。上り列車なので駅舎に面する3番線に入ります。

※2019年4月撮影

鮫駅を出発すると程なく左側の車窓に蕪島が見えてきます。本来は島でしたが、1942年(昭和17年)に内務省・海軍省の委託で旧海軍が埋め立て工事を行った結果、本土と陸続きになりました。たぶん手前の陸地が埋め立てによって作られたのでしょう。この時期(2019年8月)にはウミネコは去った後で、神社は静かに佇んでいます。

こちらは2019年4月に撮った蕪嶋神社。まだウミネコの飛来前だった様で鳥の姿はありません。神社は13世紀に江の島の弁財天を勧進したのが始まりと伝わっています。本殿は2015年11月に全焼したため再建された新しいものです。

※2019年4月撮影

こちらも2019年4月の車窓。この角度からだと島だった頃の姿が彷彿とします。右側の岩場でウミネコたちが繁殖するのでしょう。とにかく3万から4万羽というトンデモナイ数なので、糞避けの傘が置かれているそうです。しかし、いったい何故、地続きにする必要があったのでしょうか?

※2019年4月撮影

八戸線はいよいよ三陸海岸の北端を走り始めました。

元は旧帝国海軍の電探(レーダー)基地だったという葦毛崎展望台が見えました。大戦末期には八戸への空襲が繰り返され大きな被害を受けています。今は平和な眺めですが、戦時下には最前線だったワケです。

海に気をとられていたら、鮫駅から5.7kmという長い駅間で陸奥白浜駅。

駅間が長い理由の一つは、2012年(平成24年)に廃止されたプレイピア白浜という駅が鮫駅から4.4kmの地点に存在したのです。1985年(昭和60年)にオープンした「プレイピア白浜」という遊園地に隣接した駅でしたが、遊園地は1998年(平成10年)廃業、その後は無料の自然公園として開放されていましたが2008年(平成20年)に来園者減少で再閉鎖され、駅も廃止されました。

駅名標。1961年(昭和26年)に旧国鉄の駅として誕生しました。近くには大須海岸や白浜海水浴場などがあります。

駅が山の中にある様に感じますが、この樹木の向こう側には住宅もあって「うみねこライン」という青森県の県道1号線も走っています。駅は高台にあって、太平洋は右側(列車の向こう)に広がっています。

まだ雨は落ちてきません。この段階では久慈駅まで降らないだろうと髙をくくっていました。

(写真・記事/住田至朗)


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