※2014年8月撮影

トップ画像は、2014年(平成26年)8月の常陸太田駅舎正面。この日は天気が良かったのです。その分、超暑かった。2011年(平成23年)から供用された新駅舎は水戸の御老公徳川光圀(水戸黄門)の隠居所西山荘をデザインモチーフに作られています。と言われても西山荘に行ったコトがないので元デザインが残念ながら分かりません。

その日の前面展望。常陸太田駅への入線です。ターミナル駅なのに単式ホームです。上菅谷駅を除いてこの駅を含めて列車交換可能な駅はなく、上菅谷駅~常陸太田駅間が一閉塞です。1本の列車が行ったり来たりしています。駅の外、正面に「駅前タクシー」という看板がありますが、旧駅舎の駅前にあったのですね。つまり旧駅は車止めから左(西)の方に曲がりながら進んだ場所にあったことが分かります。

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※2014年8月撮影

レンタカー訪問カットです。天気悪いです。でも、ここまではどうにか雨に逢わずに済みました。常陸太田駅前はロータリーになっていて短時間なら無料で駐車できます。周囲はタクシー乗り場とか。現在の駅舎になる前は、この駅前広場の部分に旧常陸太田駅がありました。現在と同じ単式ホームでしたが側線があって、工場への専用線もあって貨車がたくさん駐められていたそうです。2014年に来た時の運転士さんが話し好きの方でその様な話をしてくれました。

天気の良い2014年8月カット。駅舎出入口。ここに写っている中学生たち、5年以上経っているので大学生とか社会人になっているのかな。みんな元気だといいね。

※2014年8月撮影

駅舎に入ると手前は待合室の空間になっています。右手前に観光案内センターがあります。2014年の夏に来た時、オナカがへっていたので行きましたが食べ物はありません。駅前に出て周囲を見渡しても寿司屋さんが一軒あるダケです。カジュアルなファストフードの類は全くないのです。駅そばもありません。中・高校生がオナカをへらしても寿司屋に入るワケがないし、なんでこんなに飲食店が無いのか、大袈裟に立派な駅舎とアンバランスな不思議な駅前です。駅舎建て替えとホーム移動と”同時に2005年(平成17年)に廃止された日立電鉄線の常北太田駅が解体されて国道293号線が拡幅されるなど駅前が再整備されてしまったので飲食店が無くなったのかもしれません。

待合室を抜けると改札口。簡易Suica改札機が設置されています。改札口の右側は、2018年(平成30年)10月までみどりの窓口でした。直営駅ではなく上菅谷駅管理下の業務委託駅です。駅員さんがいる時間帯が限定されているため乗車駅証明書発行機が置かれています。

駅舎の西側壁面に旧駅舎に掲げられていた旧字のシブイ駅名看板が飾られていました。

右下の銘板。徳富蘇峰(とくとみそほう)の揮毫(きごう)の様です。京王線にある芦花公園駅には徳富蘇峰の弟徳富蘆花(ろか)の旧宅があってその周囲が芦花公園になっているのです。あら、徳富蘇峰さんの誕生日が偶然筆者と同じダイヤ改正の日(筆者は”愛の円周率”とも言ってます)ですね。(笑)

駅名標。1899年(明治32年)太田鉄道の終点「太田駅」として開業。水戸鉄道を経て国有化されて国鉄の駅「常陸太田」になります。1982年(昭和57年)まで貨物の取扱がありました。国鉄分割民営化以降はJR東日本の駅です。2011年(平成23年)に現在の位置に移転して新駅舎供用開始。

※2014年8月撮影

常陸太田駅単式ホームに停まる水郡線車両。

※2014年8月撮影

水郡線本線と水郡線常陸太田支線を46回に渡って旅してきました。前面展望と駅訪問撮影の組み合わせという初めての試み、いかがでしたか? 筆者としてはなかなか充実した内容になったと勝手に自負しています。というか撮影もコラムを書くことも楽しめました。ありがとうございました。

水郡線コラム冒頭にも書きましたが、コラムは2019年10月に書きました。その間、10月12日(土)に関東・東北に上陸した強力で大型の19号台風に因って水郡線は橋梁三ヵ所が流失などによって郡山駅から常陸大宮駅間が不通になっています。

10月19日に、JR東日本は安積永盛駅~常陸大子駅間と西金駅~常陸大宮駅間を2019年11月1日から運転を再開すると発表しました。

残された常陸大子駅~西金駅間には、久慈川に架かる橋梁が複数あって橋梁流失など被害が甚大であるためJR東日本は復旧に長期間かかるとしています。

被災されたJR東日本、沿線の皆様にお見舞いを申し上げるとともに1日も早い復旧をお祈り申し上げます。

復旧の状況等が分かれば適宜「追記」いたします。

(写真・記事/住田至朗)