生麦事件の現場近くです【駅ぶら03】京浜急行33

2020.05.04

花月園前駅から次の生麦駅が見えます。駅間は、京急鶴見駅-花月園前駅と同じ0.8kmですが、駅間が直線だからでしょうか?

ちなみに京急本線で一番短い駅間は、神奈川新町駅-京急東神奈川駅(旧・仲木戸駅)間の500m。不動産屋さんの表示でも徒歩6分ちょっとです。電車待つよりも歩いた方が早い場合がありそうです。(笑)

反対に駅間が長いのは、安針塚駅-京急田浦駅間の2.6km。最短の5倍以上ありますよ。

生麦駅に向かいます。生麦駅は不思議な構造の駅です。上り線と下り線は一般的な島式ホーム1面2線の様に見えますが下り線は待避線です。普通列車浦賀行は島式ホームの待避線に入ります。待避線の正面に何か板の様な車止めがあります。

さらに不思議なのは下り線の通過線にも単式ホームがあることです。しかし、全く人影がないのでふだんは使われないのかな。調べると、現在全ての下り列車は2番線(待避線)に停車するので1番ホームは閉鎖されています。

生麦駅には、元は待避線はありませんでした。線形を見ても明らかです。しかし、京急鶴見駅に、1981年(昭和56年)上り線にのみ待避線が作られました。それとバランスをとるためなのか否かは分かりませんが、生麦駅には下り待避線が作られます。京急鶴見駅の10年後、1991年(平成3年)に工事が始まり1994年(平成6年)に下り待避線の供用が始まりました。上り線が新たに敷設されたのですが、快特列車が高速で通過できる様に半径2000mの緩いカーブが使われています。緩急接続で普通浦賀行は快特三崎口行に抜かれました。

ここからは【駅ぶら】のカット。島式ホームの下り線から普通列車が出発しました。

こちらは品川側。花月園前駅が見えます。保線員の方々が信号機で作業をしています。

駅名標。1905年(明治38年)開業。駅所在地は神奈川県橘樹(たちばな)郡生見尾(うみお)村大字生麦。生見尾村は明治期の合併前の「生」麦村、鶴「見」村、東寺「尾」から一文字ずつとって合成した地名です。生麦駅の南西側の長い踏切が生見尾踏切。1967年(昭和42年)橋上駅舎化されました。

生麦の地名を知らない人は少ないと思います。日本史で生麦事件を習っているからです。幕末に薩摩藩主島津茂久の父で幕府改革のために江戸を訪れた島津久光の行列が京に向かっていた際、東海道で乗馬を楽しんでいたイギリス人たちが何も考えずに島津藩の行列の中に馬を乗り入れ、久光公の駕籠に近づいたため護衛の武士に切り捨てられた事件でした。この事件を機に尊皇攘夷運動が高まり、薩英戦争まで引き起こされることになったのです。

橋上駅舎に上って驚きました。構内が無茶苦茶に広い、というか長いのです。

改札の手前で振り返りました。通路左側の窓が開いていたので写真を撮りました。

横浜側を見ています。手前はJR東海道貨物線、柵の向こうを横須賀線、東海道線、京浜東北線が通っています。

こちらは川崎方面になります。東海道貨物線から桜木町方面に向かう高島線が分岐して地下に入ってゆきます。

ようやく改札口にたどり着きました。

改札を出ました。さて生麦駅の周囲、どちらに【駅ぶら】しませうか。

【駅ぶら03】京浜急行34 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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