伝説の暗黒街とは知りませんでした【駅ぶら03】京浜急行53

2020.05.25

トップ画像は【駅ぶら】撮影の三日目、1月20日。黄金町駅のホーム、浦賀側端部から上り列車を撮影したものです。エアポート急行なので黄金町駅には停車しません。寒い日でしたが春のような陽炎がたっています。

日ノ出町駅を出るとホームのカーブがそのまま続きます。高架線です。横浜駅を出た京急本線は南東に向かっていましたが、日ノ出町駅で向きを西向きに変えて大岡川に沿うようにカーブし続けます。右カーブの先に黄金町駅が見えました。日ノ出町駅から0.8km。島式ホーム1面2線、ホームも右にカーブしていますがホームの浦賀側で今度は微妙に左カーブになっています。

ここから【駅ぶら】カット。天気が良いです。島式ホームから浦賀方面を観ています。

こちらは品川側です。駅の周囲はビルが建て混んでいます。

駅名標。この駅は湘南電気鉄道によって浦賀駅からこの駅を終点に1930年(昭和5年)に開業されました。軌間は標準軌、直流1500Vで運行を開始したのです。この時に現在の南太田駅から浦賀駅までの各駅も開業しています。2008年(平成20年)駅改修工事で改札口が浦賀寄りに移設されエスカレーター、エレベーターが整備されます。2012年(平成24年)改札口が元の位置に戻されました。

黄金町エリアは久良岐郡太田村でしたが1869年(西暦が採用されたのは明治5年/1872年以降です 1869年は明治元年-2年頃)黄金町が成立。横浜開港によって寒村から一挙に発展した町です。明治期は大岡川などが輸送路になり米問屋、材木商などの店舗が川沿いに並んでいました。しかし関東大震災で壊滅的な被害を受け、多くの住民が亡くなりました。昭和に入り湘南電気鉄道の黄金町駅が開業。翌1931年(昭和6年)には京浜電気鉄道の日ノ出町駅とが結ばれ横浜駅に行き来ができる様になります。多くの人が蝟集(いしゅう=多く集まる)する町に発展しました。その結果、戦時下の横浜大空襲で横浜でも最も人々の犠牲が多く出た地域の一つになってしまったのです。高架下に逃げ込んだ多くの住民と電車の乗客たちを低空から米軍戦闘機が機銃掃射で狙い撃ち、逃げ惑う人々の頭上を焼夷弾が直撃しました。ホームに落ちた焼夷弾から発生した火砕流が高架下を襲ったのです。一瞬にして600人以上の人々が亡くなったそうです。合掌。

駅周辺に積み上げられた死体を戦意喪失を防止する目的で日本軍が迅速に運び去ったのですが、砕けた骨などが大量に残ったため、それらを埋めた場所に黄金地蔵堂が建てられました。地蔵は現在、駅の北側の普門院に安置されています。

しかし、ここから黄金町の新しい歴史、暗い戦後史が始まるのです。詳細は書きませんが、要は非合法の売春地帯(青線)と警官ですらパトロールすることを怖れたという麻薬取引の無法地帯として21世紀まで「伝説の暗黒エリア」だったのです。2005年(平成17年)から始まった警察などの集中的な摘発、機動隊が大型車両で乗り込んで地区内を一斉に取り締まるなどした結果、のべ1000人以上居たと言われる外国人売春婦が一掃されました。

無粋な筆者は足を踏み入れたことのない世界ですが、映画監督鈴木清順さんの日活時代の作品『密航0ライン』(1960)にその当時の大岡川や近隣の様子がロケ撮影で記録されています。

黄金町の紹介が長くなってしまいました。階下に降りて改札口に向かいました。

改札口を外から。

改札の外に京急の「えきめんや」さんがありました。筆者はここでお昼にします。【EKISOBA】でこの後レポートします。

では、駅の周囲は【駅ぶら03】京浜急行54 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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