どちらかといえば判官贔屓です【駅ぶら03】京浜急行73
トップ画像は、金沢八景駅ではありません。金沢文庫駅で撮ったものです。
治承4年(1180年)配所の伊豆で挙兵した源頼朝が、加護を受けた伊豆三島明神を同年金沢八景に勧請し社殿を建立しました。それが瀬戸神社の始まりです。奥方の北条政子が瀬戸神社の海に島を築き創建した琵琶島神社は前回行きました。その琵琶島神社から国道16号線越に瀬戸神社を見ています。瀬戸神社前の歩道では狭くて鳥居が正面からコンデジ広角レンズの画面に収まらなかったのです。
それで斜めから鳥居を写しています。
寛政12年(1800年)建立の社殿。権現造りという様式です。
余談の類です。以下は全く個人的な、しかも単なる「判官贔屓」です。「伝承されている歴史が勝者によって選択された結果である」という一般論から一歩も出ないことは建前として理解しています。鎌倉幕府が編纂した「吾妻鏡」が、源氏一族を亡ぼした北条氏を正当化するために書かれた事も承知しています。
しかし、筆者はとにかく源頼朝が好きになれないのです。子供の頃、絵本のヒーローだった「牛若丸=源義経」を平家討伐のヒーローであり実弟でありながらも追い詰めて殺したのが源頼朝なのです。
「金槐和歌集」を残し、歌人としての方が高名な三代将軍源実朝もまた北条氏の陰謀によって26歳で弑逆されています。源氏の衰亡は源頼朝の猜疑心が蒔いた種の様な気がします。いずれにしても鎌倉、室町と続いた武家政治は、権謀術数と暴力に満ちています。
つまり源頼朝が戦勝祈願した瀬戸神社に筆者があまり有り難みを覚えない理由です。
ふと脇を見ると、桜が咲いている様です。撮影したのは2020年2月21日、暖冬とは言え、まだまだ関東は桜の開花には程遠い時期でした。
鎌倉幕府の血腥(ちなまぐさ)い歴史を思い出してウンザリしていたので冬の桜は良い慰めになりました。
植物に詳しくないのでこの花がどの種類の桜なのか分かりませんが、とにかく筆者には美しい桜でした。
源実朝の辞世は「出でいなば 主なき宿と 成ぬとも 軒端の梅よ 春をわするな」と伝わりますが真贋は歴史の闇の中です。新古今集の時代というよりも和歌の世界では、梅が愛されたのです。もちろん、瀬戸神社には梅も咲いていました。
その様なワケで、ひとときの間、花を愛でて瀬戸神社を後にしました。
これは撮影初日に撮った新しい京急金沢八景駅の橋上駅舎です。左の「Wing」の中にエスカレーターがあります。右が横浜シーサイドラインの金沢八景駅。
これで金沢八景駅から次の駅にッ向かいますが、ちょっとしたオマケです。
これは2017年(平成29年)4月に金沢八景駅で撮った写真。駅周辺の再開発計画が描かれていました。
※2017年4月撮影
その時に撮った金沢八景駅山側の工事。現在の形も撮ったはずですが・・・。出てこない!
※2017年4月撮影
お詫びに同じ時、2017年(平成29年)4月に金沢八景駅から撮った上り電車。現役時代の京急800形です。825編成は、2019年に廃車になっています。
※2017年4月撮影
では、「元気だして」追浜駅に向かいます。
【駅ぶら03】京浜急行74 に続きます。
(写真・記事/住田至朗)