萩中神社の境内にある東官守稲荷神社の御眷属(神のお使い)「おキツネさま」は何故か金網で防御されていました。イタズラをする人がいるということなのでしょうか? 筆者は、この様な防護された「おキツネさま」をたぶん初めて見ました。

もちろん左側の「おキツネさま」も金網で守られていました。

「具足功徳蔵稲荷大明神」のある真言宗のお寺、用明山秀明寺に向かっていると蒲田女子高等学校がありました。戦前、1941年(昭和16年)蒲田高等女学校として創立された学校です。通った時は授業中だったのか静まりかえっていました。

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女子校の横に秀明寺がありました。

用明山という扁額がかかっています。このお寺のご本尊が聖徳太子像、三十一代用明天皇は厩戸皇子のお父さん、聖徳太子のパパなのです。それで「用明」山?

山門の手前に「聖徳太子道」と彫られた石碑と小屋に石像がおさめられています。石碑は旧東海道に秀明寺への道標として建てられたものでした。

横の石像、ネットで調べましたがよく分かりません。アトリビュート(誰であるかを表す持ち物や付属物)が笏(しゃく)と柄香炉(えごうろ)らしいので筆者は聖徳太子像であると思いましたが・・・。

秀明寺さんの境内にお邪魔します。

秀明寺さんの墓地、その西南の奥に「具足功徳蔵稲荷大明神」がありました。多くのお墓の前を通ってきます。不思議な場所に祀られたお稲荷様です。

ここの「おキツネさま」には金網はありません。

お稲荷様の奇妙なお名前「具足功徳蔵」を調べてみました。大乗仏教の仏典『無量寿経』に「功徳蔵を具足して、妙智、等倫なし」とあって、功徳蔵は阿弥陀仏自体を意味するので「阿弥陀仏を備えて妙智(仏の絶対的智)は比べるモノがない」くらいの意味でしょうか。お稲荷様は「稲が成る」という言葉から穀物・農業の神サマですが、大乗仏教の阿弥陀如来(無量寿仏)と結びつけられているのが不思議です。しかも空海(弘法大師)の開いた真言宗のお寺秀明寺さんの墓地にあるというのもかなり奇妙です。

山門の脇に「三界萬霊」という石碑のある無縁供養塔がありました。

近寄ってよく見ると古い墓石でしょうか「元禄十四年(1701年)」「享保十九年(1734年)」「延享元年(1744年)」などの文字が読めます。日本人、特に庶民が墓石を建てるようになったのは江戸時代からですから、その頃のものですね。それでもこの様な墓石は比較的裕福な人々に限られていました。貧しい人々は河原から石を拾ってきて墓石の代わりにしたそうです。

昭和レトロな糀谷商店街をひやかしながら駅に戻ってきました。

では少しずつ羽田空港に近づいて行きましょう。

【駅ぶら03】京浜急行113 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)