※2014年7月撮影

トップ画像は、信越本線と越後線の分岐駅柏崎ホームの国鉄115系電車。右の2次新潟色と左の3次新潟色が連結しています。

さ、青春18きっぷ鉄道旅vol.12、2日目は、2014年(平成26年)7月26日。JR東日本柏崎駅前のホテルで4時半に起床。

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※2014年7月撮影

柏崎駅。時刻は5時10分。誰もいない。駅の照明は消えています。

※2014年7月撮影

信越本線未乗区間の直江津まで行きたい気分ですが、今日は、やはり未乗の越後線に乗って吉田駅まで行って、未乗の弥彦線で弥彦駅まで行きます。ホームには115系電車だらけ。右の2次新潟色が5:34発越後線経由新発田行3両編成です。

※2014年7月撮影

越後線の0番ホームには、3両編成の3次新潟色の115系が停まっていました。

※2014年7月撮影

新発田行が出発。ほとんど回送電車状態でした。誰も乗っていません。

※2014年7月撮影

越後線は、起点が柏崎駅、終点は新潟駅の83.8km単線ですが直流電化されています。柏崎~吉田間が閑散路線。吉田駅までの18駅で駅周辺(半径500mの円内)人口が1,000人を越えているのは、柏崎駅、東柏崎駅、分水駅、南吉田駅、吉田駅の5駅だけで、多くが三桁の前半です。(2010年国勢調査の数字)そして柏崎駅と吉田駅以外は無人駅。運行本数も多くはありません。逆に吉田~新潟間は新潟のベッドタウン的に住民が増加しているエリアで全駅が有人です。特に新潟~内野間は単線ですが毎時3本が運行されています。

駅名を見てビックリ。礼拝(れいはい)?と牧師の友人を思い出しました。カトリック教会なら典礼になります。読み方は「らいはい」なので仏教用語。駅から15分ほどの場所に二田物部(ふただもののべ)神社があって、その礼拝所があったことから名付けられた駅の所在地名です。でも神道なら参拝じゃないの?

※2014年7月撮影

6:45、吉田駅に到着。柏崎駅から1時間11分でした。ホームに弥彦色の115系電車が停まっていました。

※2014年7月撮影

こちらが先頭。2両編成でトイレが無かったと思います。7:13の弥彦行。

弥彦線で弥彦色の115系は、2015年3月で運用終了。廃車解体されました。2019年夏デスティネーションキャンペーンで、旧弥彦色に復刻された115系が走りましたが、残念ながら筆者は見ていません。

※2014年7月撮影

車内。クモハ114-503。オリジナルは、1966年(昭和41年)製造。1983年(昭和58年)に中間車両モハ114-88を先頭車両に改造した車両です。銘板が無いので何処で改造したかは分かりません。しかし、1966年-2015年とほぼ50年間走り続けたのです。この車両も廃車解体され現存しません。

※2014年7月撮影

7:21、弥彦駅に着きました。2013年(平成25年)駅舎はリニューアルされています。彌彦神社の本殿を模した入母屋の木造寺社造り。シブイ!

※2014年7月撮影

駅前に手水(ちょうず)があります。

※2014年7月撮影

駅前には、1999年頃に廃業した「やひこ観光ホテル」の廃墟がそびえていました。1972年(昭和47年)には昭和天皇が宿泊したという由緒あるホテルだったのです。2015年(平成27年)弥彦村が駅前の景観を損ねているとして土地・建物を取得しましたが解体に1億7000万円かかると言うので手付かずで、村主催の「廃墟見学ツアー」が実施されたそうです。2014年7月の時点では、周囲はバリケードなど無く、簡単に中に入るコトのできる状態でした。その後2018年(平成30年)夏に、ホテルは弥彦村によって解体され「弥彦温泉駅前広場」がオープンしています。

※2014年7月撮影

もう一度弥彦駅に来て解体される前の廃墟を見た記憶があります。たぶん、コラムに再登場します。廃墟とか心霊スポットの類は、怖いから大キライなんですけど。(笑)

朝4時半起きで何も食べていません。気温は35℃を越えてましたが、駅の方に訊いて、朝の7時半に唯一食べ物が入手可能なコンビニまで片道15分(約1km)を歩いきました。3リットルくらい汗を流しながら。サンドイッチを買ってやっと朝食です。コンビニから弥彦のロープウェイが見えました。

※2014年7月撮影

駅舎内。待合室にはエアコンが効いているので、ようやく汗がひきます。次の吉田駅方面まで30分涼めます。しかし夏の日本海側は半端なく暑い!

※2014年7月撮影

では、灼熱の日本海に沿って北上します。

(写真・文/住田至朗)