旧国鉄の石炭消費量を想像してみました【50代から始めた鉄道趣味】398
※2014年12月撮影
トップ画像は、人吉駅構内に駐まるくま川鉄道車両。
矢岳駅から大畑駅に向けて巨大なループで高低差242.8mを9.5kmで下ります。平均勾配25.6パーミルという凄まじい数字になります。そのループの入口で「しんぺい2号」はサービス停車。眼下に大畑駅が見えます。この停車は価値が高いと思いました。
※2014年12月撮影
ループを降りて大畑駅に近づくと構内に蒸気機関車の車輪と石碑があります。明治時代に国家の威信をかけ鉄道技術の粋を集めて当時の鹿児島本線(現・肥薩線)は作られました。しかし、その陰に多くの犠牲者が発生したのです。殉職碑が建てられています。
※2014年12月撮影
ループを一周した列車はスイッチ・バックの引き上げ線を進みます。終端部が見えた所で停止しました。「ななつ星」は一番奥まで行く様です。
※2014年12月撮影
運転士さんは車内を通って反対側の運転席に移動。筆者も運転士さんについて反対側の運転席側に来ました。列車は進行方向を変えて大畑駅に入ります。ループを回って左側から引き上げ線に入りました。信号はまだ赤ですが、ポイントは右の大畑駅方面に切り替わっています。
※2014年12月撮影
大畑駅でも列車は進行方向を変えます。7分間停車。1909年(明治42年)鹿児島本線の駅として鐵道院が開設しました。1986年(昭和61年)電子閉塞装置が導入されて駅は無人化。2007年(平成19年)には大畑駅、鉄道施設遺構などが南九周近代化産業遺産群の物資輸送関連遺産に選ばれました。2018年(平成30年)構内の旧保線詰所跡にレストランが開業しました。
※2014年12月撮影
ホームの湧水盤も近代化産業遺産に選ばれました。
※2014年12月撮影
駅舎を外側から、ホームの「いさぶろう・しんぺい」が見えます。
※2014年12月撮影
駅舎全体。
※2014年12月撮影
駅舎のほぼ正面に宮地嶽神社の鳥居、参道があります。この神社の境内がアニメ『夏目友人帳』の舞台になったそうです。
※2014年12月撮影
近代化産業遺産に選ばれた給水塔。標高106.6mの人吉駅から294.1mの大畑駅まで、高低差187.5mを10.4km(平均勾配18パーミル)走って上ってくるために、D51蒸気機関車は約1トンの石炭を消費、250リットルの水を蒸気に替えたのです。
※2014年12月撮影
大畑駅から矢岳駅までは平均25.6パーミルという急勾配が9.5km続きます。いったいどれ程の石炭と水が必要だったのでしょうか・・・。鹿児島本線時代には貨物列車も多く行き交ったはずです。吉松駅~真幸駅(7.8km)~矢岳駅(7.3km)も平均勾配21パーミルです、想像を絶する様な量の石炭と水が毎日消費されたのでしょう。D51は、自重47トンのテンダー(炭水車)に8トンの石炭と1万6千リットルの水を搭載していました。
旧国鉄時代、最盛期には、4,500台を越える蒸気機関車が全国を走り回っていたのです。1台に平均5トンの石炭を積むとして、約2万2千トン、蒸気機関車が年間200日稼働すると約440万トンの石炭が消費された計算になります。※
年間に5千万トンを産出したという北海道と九州の炭鉱、その隆盛の理由が分かる様な気がします。
※実際に旧国鉄が消費した石炭量がデータとして残っていると思われますが、筆者は探せていません
そろそろ出発、駅舎内から改札口を通ってホームに戻ります。駅舎内には大量に名刺が貼られています。
※2014年12月撮影
進行方向が変わって人吉に向かいます。左に下ってゆくのが人吉方面、手前右から来たのがループを下って来た吉松方面、そして右奥が最初に入ったスイッチ・バックの引き上げ線です。
※2014年12月撮影
13時5分、人吉駅に着きます。望遠レンズなので手前のポイントが写っていません。このまま入線したらぶつかっちゃいますからね。
※2014年12月撮影
吉松駅から1時間16分かかりました。観光列車の「しんぺい2号」は、真幸駅で7分、矢岳駅で10分、大畑駅でも7分と合計24分、駅で長目のサービス停車をしました。その他に、眺望の良い場所で数カ所、徐行ないしは停車。速さは求められていないのです。
乗り継ぐ八代行が14時なので、時間があります。
※筆者は既にコラムなどで青春18きっぷ鉄道旅の写真を度々使用しています。重複していますが、御容赦ください。
※価格などは2014年当時のものです。
(写真・文/住田至朗)