盲腸線40本目 宇野線に乗ります【50代から鉄道趣味にハマりました】

2020.11.16

※2015年8月撮影

トップ画像は、宇野駅ホームの国鉄115系直流近郊形電車。懐かしい湘南色です。JR西日本岡山支社では、115系3両×2編成を湘南色のまま運行することを2017年(平成29年)発表しています。車内も1976年(昭和51年)の新製時の姿です。

では青春18きっぷ鉄道旅vol.16、6日目スタートです。

午前5時の三原駅。夏の早暁、空気が気持ち良い。

※2015年8月撮影

残念だった三原のタコ君にご挨拶。いずれ再会しましょう。

※2015年8月撮影

5時34分、山陽本線万富行に乗って岡山に向かいます。

瀬戸内海を見ながら走ります。昨年12月23日に下り方向で通った同じ場所です。その時は「糸崎の手前、左手の岩小島と右手前の細島、奥の因島の間から四国今治に渡る西瀬戸自動車道の鉄橋が見えます。」同じ風景ですが、季節は盛夏、時間は早暁です。

※2015年8月撮影

尾道駅。2020年4月に亡くなった大林宣彦監督の生まれ故郷、1982年(昭和57年)の”転校生”、1983年(昭和58年)”時をかける少女”、1985年(昭和60年)の”さびしんぼう”、尾道三部作では、尾道の細い坂道が印象に残りました。泊まってゆっくり散歩したい町です。駅は1891年(明治24年)開業。

※2015年8月撮影

大門駅。1897年(明治30年)開業、都営地下鉄の大門駅(1964年/昭和39年開業)、愛知環状鉄道大門駅(1988年/昭和63年開業)もありますが、山陽本線の大門駅が最初に開業。まだ暗いのでピントが背景に合っています。ここの木造駅舎も魅力あります。

※2015年8月撮影

7時11分岡山到着。7時40分の宇野線宇野行に乗りました。宇野線は、1988年(昭和63年)に瀬戸大橋が出来るまでは国鉄宇高連絡線との接続路線でした。瀬戸大橋開通後は岡山ー茶屋町間は本四備讃線の一部となっています。

宇野線は岡山駅から備中箕島まで大きく西に向かいます。そこから南下し、茶屋町の先から瀬戸大橋線と分かれて八浜駅の先まで東に進みます。これは1910年(明治43年)に岡山駅~宇野駅間が開通した時の海岸線に沿って線路が建設された為です。宇野線の東側に広がる土地の大部分がその後の干拓によって陸地化されたものなのです。約100年かけて広大な土地が作られました。

備中箕島駅。1939年(昭和14年)開業。1940年(昭和15年)から敗戦後の1950年(昭和25年)まで10年間、駅は休止されました。瀬戸大橋線マリンライナーに乗って通過すると「この先で本当に瀬戸大橋を渡るの?」という単線単式ホームのローカルな駅です。

※2015年8月撮影

隣の早島駅は相対式ホーム2面2線で複線区間です。昨日山陽本線宮島口駅から大量に乗ってきた外国人と同じ雰囲気の方々がたくさんいました。近くに宿泊施設は無さそうですが・・・。

※2015年8月撮影

久々原駅。1952年(昭和27年)開業。この駅も相対式ホーム2面2線で複線化されています。

※2015年8月撮影

本四備讃線の起点。宇野線が分岐する茶屋町駅。高架駅です。この駅所在地は倉敷市。宇野行は4番ホームに入りました。島式ホームの間に線路は1本で両側のホームから乗降できます。京浜急行の久里浜駅と同じスタイルですね。

※2015年8月撮影

駅のアナウンスは「宇野みなと線」と案内していました。1910年(明治43年)開業。1988年(昭和63年)本四備讃線~児島駅間が開業、同時に駅が高架化されています。

ここからは純粋な宇野線になります。って茶屋町までが不純だったワケではありませんが。盲腸線40本目の終端駅に向かいます。

※筆者は既にコラムなどで青春18きっぷ鉄道旅の写真を度々使用しています。重複していますが、御容赦ください。

※価格、駅などは2015年当時のものです。

(写真・文/住田至朗)


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