沿線自治体が一部区間廃止を容認~留萌本線の旅(3)

2020.12.07

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留萌本線は函館本線・深川駅から留萌駅を結ぶ全長50.1kmの路線です。かつては増毛が終着駅でしたが、2016年12月に留萌~増毛66.8kmが廃止されたことでJR九州の筑豊本線(66.1km)を抜いて「JRグループで最も短い本線」になりました。JR北海道は同線全線を「単独での維持が困難な路線」と位置付けており、島田修社長は全線廃止を示唆しています。沿線市町長との話し合いでも一部廃止が合意されており、今後は廃止に向けた動きに拍車がかかる見込みです。第3回目は大和田駅から峠下駅までを紹介します。

実業家・大和田荘七の寄付により設置「大和田駅」

広々とした旧駅舎の基礎が炭鉱で栄えたころの唯一の面影

大和田駅は大和田炭砿や北前船を所有していた大和田荘七の寄付により1910年11月23日に運炭を目的に開業しました。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換が可能な駅でしたが、1986年11月1日に無人化され、現在は1面1線となりヨ3500形車掌車改造駅舎が設置されています。

駅舎とホームは大きく離れている

大和田炭鉱は昭和30年代までこの地にあった炭鉱で、年間2万トン以上もの石炭が採炭される留萌炭田の初期の中心炭鉱でした。明治期の大和田地区には約3000人の集落があり、飲食店や病院、学校や映画館などがありましたが、今では民家が数軒残るのみ。当時の様子をイメージできるものは残されていません。

ケーブルで何を運んでいたのだろう

駅近くを散策していると、留萌川の対岸に物を運ぶためのケーブルを発見しました。詳しい用途はわかりませんが、草に埋もれておりしばらく使われていないようです。思わぬ発見は旅の醍醐味です。

農場主・藤山要吉から命名「藤山駅」

きれいに修繕された藤山駅

藤山駅は1910年11月23日に開業。駅名は農場主・藤山要吉の姓を由来としています。かつては対面式ホーム2面2線を有する列車交換が可能な駅でしたが、1984年2月1日に無人化され、現在は1面1線となっています。なお、幌糠駅の間にあった桜庭駅は1990年10月1日に廃止されています。

真っ白な待合室

駅舎は事務所スペースが削られて縦長になっています。以前は板を張り付けただけの簡易的な補修が施されていましたが、現在は綺麗に修繕されて風格さえ漂っています。待合室の壁も白く塗り直されていますが、1日の乗降客は1名以下。駅周辺に水田が広がり、鉄道を利用するような人は見当たりません。

アイヌ語のポロヌプカペツに由来 「幌糠駅」

隣駅の東幌糠駅は2006年3月18日に廃止

幌糠駅は1910年11月23日に開業しました。駅名はアイヌ語のポロヌプカペツ(大きい〔親なる〕・野の・川)に由来しています。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換が可能な駅でしたが1986年11月1日に無人化され、現在は1面1線となりヨ3500形車掌車改造駅舎が設置されています。

風格を感じる消防団の建物

周辺には民家が多く、コミュニティーセンターや駐在所があり、南るもい農協幌糠支所から農作物を積んだトラックが往来するなど、比較的賑やかな印象を受けます。古い消防団の建物を撮影していると地元の方が「何が珍しいんだろう」という顔でこちらを見ていました。

留萌本線で唯一列車交換が可能「峠下駅」

歴史を感じる木造の駅舎

峠下駅は1910年11月23日に開業。駅名はアイヌ語のルチシ・ポク(峠の下)の意訳に由来しています。相対式ホーム2面2線を有し、現在は留萌本線で唯一列車交換が可能です。1984年2月1日に荷物取扱い廃止と同時に出札・改札業務を停止。1998年3月にタブレット閉塞から特殊自動閉塞化に伴い完全無人化されました。

貨物ホーム跡が今も残る

駅舎の左側に貨物ホームの跡が残され、かつては蒸気機関車用の給水塔などの設備も存在していました。駅周辺に民家や商店などは一切なく深い森に囲まれていることから、メインは旅客ではなく、伐採した木材を運び出すための貨物駅としての役割が大きかったと推測されます。現在の乗降客は1日1名以下。貨物の廃止によってすでに本来の役割は終えていたのでしょう。

文/写真:吉田匡和

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