「京浜急行電鉄株式会社は、明治三十一年二月二十五日、大師電気鐵道株式會社として設立され、翌明治三十二年一月二十一日、川崎六郷橋~川崎大師間の営業を開始した」

京急大師線 川崎大師駅駅前にある「京浜急行電鉄 発祥之地」モニュメントにこう記されてるとおり、京急のルーツは大師線。

そんな大師線はこの10年、連続立体交差事業の計画と、休止・中止・実施の波にもまれ、部分的に地下化していまにいたる。

画像はちょうど10年前、2011年の産業道路駅。上を行く道路は首都高速 神奈川1号 横羽線。その下を平面交差する道が東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線、産業道路。

この東京横浜間を湾岸側で結ぶ物流の動脈と、京急が昭和期に敷いた線路が平面交差する現場が地下化され、産業道路駅は大師橋駅と名を変えた。大師橋駅の前後は、地平のレール撤去工事などがすすむ。

川崎市は、京急川崎と川崎大師の間を既存線路とは違う新線で結ぶ2期区間を断念。

2019年に京急大師線連続立体交差事業の今後のすすめかたについて公表し、踏切除去の次のターゲットとして着目した本町踏切について「鉄道を地下化することが最有力」と伝えた。

京急川崎~港町にある本町踏切は、大師線と国道409号 大師道 が平面交差する踏切。1日あたりの踏切自動車交通遮断両が5万台以上ある踏切で、ここを線路地下化でクリアする考え。

この公表で示されたスケジュールでは、2021年に、これまでの計画とはまた違った都市計画変更。2022年度に本町踏切を含む2期代替案工事に着手するという。

2011年の大師線

大師橋第4踏切から、小島新田駅を背にして大師橋駅(産業道路駅)をみる。現在は、この手前に両渡り線が設置されているのを Googleマップ で確認できる。

川崎大師駅にとまる京急1500形 京急川崎行き電車。鈴木町第1踏切から。

東門前駅にとまる京急1500形 小島新田行き電車。東門前第1踏切から。

小島新田駅を出る京急1500形 京急川崎行き電車。大師橋第4踏切から。

小島新田駅前。渋い飲み屋が軒を連ねる。