三陸鉄道を復旧させた鉄道マンの熱い思い JRTT「三陸鉄道復興鉄道建設所」の記憶【取材ノートから No4】

2021.03.14

三陸鉄道イメージ(denkei / PIXTA)

2011年3月11日の東日本大震災から10年。震災で大きな被害を受けた鉄道といえば、2020年春に全線で運転再開したJR常磐線、そして岩手県の三陸沿岸を走る第三セクターの三陸鉄道(三鉄)が挙げられるでしょう。三鉄が全線運転再開したのは2014年4月で、復旧工事は鉄道建設・運輸施設整備支援機構(JRTT)が担当しました。

「限られた期間で鉄路を復活させ、しかも被災前より強じんな鉄道を造る」の困難な使命を成し遂げたのは、「鉄道を復旧させて三陸に希望を届ける」という三鉄やJRTTの熱い思いでした。私がJRTTの現場最前線の話を聞いたのは、2014年秋に開かれたJRTT技術研究会での特別報告です。当時の取材ノートを基に、発災から運転再開までをたどってみましょう。

これまでに経験のない業務

三鉄は1984年に全国初めての第三セクター鉄道として開業。震災では地震動とともに、高さ10メートルを超す津波で大きな被害を受けました。最大の被害は北リアス線(宮古―久慈間71.0km)の田野畑村付近。南リアス線(盛―釜石間36.6km)も全線で被災しました。南リアス線の路線長は北リアス線の約半分ですが、被害箇所は3倍以上。南リアス線の方が震源に近かったこともあり、津波と地震動の影響を強く受けたと考えらます。

震災2ヵ月後の2011年5月、国土交通省からJRTTに中小民営鉄道を対象とした被害状況調査と復旧方策検討業務の依頼がありました。その後、同年10月には三鉄からJRTTに対し復旧工事を委託要請。翌11月には協定が締結されました。被災した鉄道の復旧というのは、鉄道整備(建設)を主務としてきたJRTTにとって、ほとんど経験のない業務です。

全社を挙げた推進・支援体制を組む

未経験とはいえ、鉄道の運転再開は被災地復興のシンボルとなる事業で、JRTTは全社を挙げた推進・支援体制を組むことにしました。横浜の本社には復興支援チームを置き、施工方法などを検討。東京支社は特に工程管理に重点を置きました。

現地体制では、2011年11月の受託と同時に北リアス線終点の久慈市に「三陸鉄道復興鉄道建設所」を開所。翌2012年4月には、釜石市に南リアス線を担当する「三陸鉄道復興南鉄道建設所」を開所しました。

さらに同年5月には北リアス線、南リアス線のほぼ中間の宮古市に「三陸鉄道復興工事課」を置きました。現地に工事課を設置したのは、本社や東京支社から遠距離というハンディを解消する狙いです。

工事は復旧区間を3区間に分けて進めましたが、工期的にはいずれも非常に厳しいものがありました。特に第1区間の北リアス線田野畑―陸中野田間は土木工事がわずか3カ月間、その後の軌道・電気工事も約1カ月間という〝短期決戦〟でした。

第2区間の南リアス線盛―吉浜間は延長距離が21kmもあり、工事内容もさまざまながら、軌道(線路敷設)工事への引き渡しまでにおよそ7カ月間しかありません。

最後の第3区間の土木工事期間は約16カ月間。一見余裕がありそうですが、こちらも構造物の新設があり、厳しい工程管理が求められることに変わりありません。

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