沖縄、時代は100年以上前。1914(大正3)年に開通した沖縄県営鉄道が走っていたころ。

太平洋戦争で線路や駅舎、車両もろともすべて破壊されるまで、沖縄に鉄道が走っていたことをいまに伝える、廃線跡がわずかに残っている。

ケービンという愛称で当時、地元の人たちに親しまれていた沖縄県営鉄道は、那覇駅を起点に、与那原線(9.4km)、嘉手納線(22.4km)、糸満線(15km)といった、おもに3系統を運営していた。

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ケービンのレール幅は762mm、国鉄の1067mmにくらべて、小さめの軽便鉄道のひとつで、日本車輌製造の蒸気機関車をはじめ、ドイツ ヘンシェル、ドイツ コッペル、イギリス エイボンサイドなど、さまざまな機関車が客車を引いて走っていた。

糸満線 国場~糸満 15.0km の“途中駅”がいまもある

この沖縄県営鉄道のなかでも糸満線は、3路線のうちでももっとも遅い開業で、1923(大正12)年に国場~糸満が開業した。

途中駅は、津嘉山(つかざん)・山川(やまがわ)・喜屋武(きやん)・稲嶺(いなみね)・屋宜原(やぎばる)・東風平(こちんだ)・世名城(よなぐすく)・高嶺(たかみね)・兼城(かねぐすく)

この稲嶺駅跡付近に、まだ“駅”がある。軽便駅かりゆし市(↑↑↑画像)。

南城市大里の野菜の直売を行うNPO法人で、軽便鉄道の駅跡地にあることから、「軽便駅かりゆし市」と名づけた。

この先、糸満線の軌道跡の名残がある地へむかうまえに、このケービン駅でひとやすみ。

沖縄ローカルなフルーツや野菜、惣菜が、ごろごろ。安い価格でいろいろ売っていて、時間を忘れるほど楽しい。

廃線跡めぐりの途中、ここ軽便駅かりゆし市で、沖縄ローカルフード、ポークたまごおにぎりや、タコライス、さかなてんぷらを買い込んで、レンタカーのなかで、ぱくっ……。

―――沖縄を旅して、那覇で3時間ほど余裕があったら、クルマで行ってみて。戦火で失ったすべてを振り返りながら、沖縄戦の悲劇と教訓を、かみしめながら。