たくさん歩きました【駅ぶら04】拝島線08
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
トップ画像は、玉川上水駅から拝島線の南側を歩いて、玉川上水車両基地の横を走る下り各駅停車玉川上水行電車。スマイルトレインです。
【駅ぶら】の続きは、松の木通り。「玉川上水 清流の復活碑」の横に玉川上水の説明板があります。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
玉川上水は、江戸時代に人口が急増する江戸の飲料水のために玉川兄弟によって作られた水路です。多摩川から水を引いていますが、命名の由来は玉川兄弟なのです。
※読者の方から誤りをご指摘いただきました。玉川上水の命名の由来について、
・幕府は、庄右衛門・清右衛門の働きを賞して、永代玉川上水役を命じ、玉川姓を名乗ることと帯刀を許し、4年間にわたって200石分の扶持を与えました。
・・・つまり「玉川兄弟の苗字の由来は玉川上水」が正しいのです。山川健英様ありがとうございました。
玉川と多摩川の表記に当時から混乱があった様です。
筆者は小学2年生から大学2年生まで井の頭線久我山駅を利用していました。毎日玉川上水の岩崎橋を渡っていたのです。右の「現在地」の遥かに左の下流、赤い印の辺りです。現在は東八道路が開通して昔の面影は希薄になってしまいました。中学生の頃は岩崎橋の東側、旧久我山水衛所辺りで「ダボハゼ(たぶんヨシノボリ)」を釣って遊んでいました。今は昔、です。
この小径を降りて行けば、玉川上水43kmの流れの中で唯一水面近くに降りられる上水小橋があります。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
少し西に戻って、野火止用水歴史環境保全地域の看板があります。右に行くと上の「玉川上水 清流の復活」碑と上水小橋に降りる小径があります。筆者は左の拝島線側を進みます。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
上水小橋の少し先に当たる場所にこんな案内標識。東大和市駅まで1.2km、歩いて18分と出ています。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
木々の間を歩いてゆきます。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
線路脇の道もあります。拝島線の左には玉川上水車両基地が広がっています。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
ここからは舗装路ではなくなります。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
東大和市駅に向けて左にカーブします。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
玉川上水駅方面を振り返ると玉川上水車両基地の車両が見えます。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
カーブの外側は広い草地になっています。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
カーブを過ぎると東大和市駅のスロープが見えました。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
左の拝島線脇から煉瓦の敷いてある「松の木通り」側に来ました。樹齢60年以上のアカマツがあるので「松の木通り」なのですね。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
右側には森が広がっています。「野鳥を捕獲してはいけない」という注意書きがあります。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
左にアカマツがありますが、背が高いので松の葉は見えません。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
小径の脇に椋鳥がいました。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
拝島線は東大和市駅へのスロープです。勾配標は20パーミル。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
駅が近づいてきました。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
左は東大和市駅です。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
右には東京都薬用植物園の温室が見えます。
 ※2021年4月撮
※2021年4月撮
東大和市駅出口近くに到達しました。
 ※2021年4月撮影
※2021年4月撮影
玉川上水駅の【駅ぶら】で5km以上歩いたと思います。汗をたっぷりかいて流石に少々草臥れました。
次回は玉川上水駅からの前面展望です。
(写真・文章/住田至朗)
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
