鯉とりまぁしゃんの故郷!【木造駅舎コレクション】078
※2021年4月撮影
トップ画像は、久大本線田主丸駅。駅舎外観、ユニークをかなり通り越しています。(笑)
初めて久大本線でこの駅を見たときはホントに驚きました。しかし冗談にしても、ちゃんと駅舎だし。通る度に一度ゆっくり見に来ようと思っていましたが、今回ようやく念願がかないました。
そもそもこの奇矯な駅舎が作られた原因は昭和末期、バブルの大盤振る舞い。竹下登内閣総理大臣の発案で全国の市区町村に1億円が配られた「ふるさと創生事業」(正式名称:自ら考え自ら行う地域づくり事業)の予算だったのです。浮羽郡田主丸町(現・久留米市田主丸町)がJR九州の土地を借りて駅舎を建て替えたのです。
「ふるさと創生事業」1億円の使い途、例えばJR東日本五能線の木造駅に眼の光る巨大な遮光器土偶が付いた駅舎が作られたことも有名です。
右側には「田主丸ふるさと会館」があります。木で名前が読めませんが。
※2021年4月撮影
しかし「何故 河童(カッパ)なのか?」。戦時下のベストセラー作家火野葦平さんが田主丸町の「鯉とりまぁしゃん」に魅せられて彼を主人公にした小説を書き、頻繁に田主丸を訪れ地元の人たちに勧めて「河童族」という集まりを作ったのが始まりといいます。
※2021年4月撮影
「鯉とりまぁしゃん」こと上村政雄さん(1913-1999)は、冬の筑後川に裸で素潜りをして素手で大きな鯉を、多い時は1度に3匹も捕まえたという伝説の人物。私は、火野葦平さんの小説は読んでいませんが、作家の開高健さんのエッセイ『私の釣魚大全』(1969/文藝春秋 後に文春文庫)で「鯉とりまぁしゃん」を読みました。強烈な話なので「鯉とりまぁしゃん」という名前を覚えています。
いずれにしても「ふるさと創生事業」の1億円で、河童をモチーフにした駅舎が作られたのです。デザインは地元の県立浮羽工業高校の生徒さんたち。そのアイデアをベースに駅舎は1992年(平成4年)4月に竣工。
理由は何であれ、ビジュアル・インパクトは強烈です。しかも見慣れるとほのぼのと親しみが湧いてきます。
※2021年4月撮影
河童の顔の部分にはカフェ&セレクトショップ「KAPATERIA」が入ってます。10時開店なのでまだ開いていません。
※2021年4月撮影
駅出入口にも河童がいます。右端です。
※2021年4月撮影
こちらは葡萄や柿を手に持っています。
※2021年4月撮影
後の説明板の内容をそのまま写します。
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楽太郎河童
田主丸の開祖 菊池丹後は自ら持っていた死生観「我極楽浄土楽生」から楽生(たのしくうまる)をとって田主丸となった と云う伝承があります。
この河童も(楽)字をとって楽太郎としました。皆様に楽しみとしやわせを授ける事でせう。
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菊池丹後は、田主丸大庄屋。田主丸町の名産は、巨峰(田主丸町が発祥)、無花果(イチジク)、柿などです。楽太郎河童が手に持っているのはこれらですね。
では駅舎に入ってみましょう。
※2021年4月撮影
田主丸駅には情報がいっぱいあって長くなってしまいました。続きは次回です。
(写真・文/住田至朗)
※木造駅舎などJR九州さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいているものです。鉄道は感謝の気持ちを持って撮影しましょう。