ちょっとアンバランスな印象【木造駅舎カタログ】紀勢本線17/186 紀伊佐野駅

2022.06.17

※2020年12月撮影

トップ画像は、紀勢本線紀伊佐野駅。屋根瓦が良い雰囲気の木造駅舎。新宮駅を越えて紀勢本線はJR西日本管轄の電化区間に入っています。新宮駅から紀勢本線は和歌山県に入っています。

紀勢本線が敷かれるまで、熊野への旅は海路しか有りませんでした。維新後も熊野那智大社参詣には海岸沿いの隘路をどうにか人力車が進める程度だったのです。林業も盛んでしたが木材を積み出す勝浦港までの運搬手段がありませんでした。

1911年(明治44年)新宮鉄道が着工、1913年(大正2年)勝浦駅から新宮駅が開通。1934年(昭和9年)国有化され紀勢中線となりました。その後徐々に延伸され1940年(昭和15年)には下里駅ー串本駅ー江住駅が開通。同時に新宮駅ー紀伊木本駅(現・熊野市駅)までは開業して紀勢西線になります。しかしリアス式海岸を紀伊木本駅(現・熊野市駅)から尾鷲駅まで延伸するのは難工事で全通は1959年(昭和34年)まで、20年近くかかったのでした。

※2020年12月撮影

紀伊佐野駅は、1913年(大正2年)新宮鉄道の佐野村停留場として設置され、直後に交換可能な構造に改造されて佐野村駅に昇格しました。1934年(昭和9年)新宮鉄道が国有化、秋津野駅に改称され紀勢中線の駅になります。上にも書いた様に1940年(昭和15年)紀勢西線に改称され、その所属駅になりました。1942年(昭和17年)紀伊佐野駅に改称。1959年の紀勢本線全通により線路名称も改定され紀勢本線の所属駅になりました。

1945年(昭和20年)巴川製紙所新宮工場が操業開始。現在のスーパーセンター「オークワ」がその敷地です。そこまで専用線が敷かれました。1986年(昭和61年)旅客駅としては無人化されますが駅には貨物の駅員がいました。国鉄分割民営化でJR西日本とJR貨物に継承されます。

1995年(平成7年)巴川製紙所新宮工場が閉鎖。貨物列車も発着廃止。2008年(平成20年)JR貨物の駅も廃止されました。

※2020年12月撮影

紀伊佐野駅の構内は貨物列車運行の跡地が残っていてなかなか広大でした。その割に島式ホームの幅は狭いのでちょっとアンバランスな印象。

※2020年12月撮影

駅出入口。待合室はベンチの背後にもう一つ小さな部屋が並んでいました。正面は構内踏切を渡って狭い島式ホームに上がる階段。駅舎は開業時のものを使用しています。

※2020年12月撮影

※鉄道の撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいています。撮影は何よりも安全が最優先。あくまでも業務・利用の邪魔にならないように、そしていつも感謝の気持ちを持って撮影しています。

(写真・文章/住田至朗)


LINEで送る

オススメ記事