残っていてよかった【木造駅舎カタログ】紀勢本線40/209 湯浅駅
※2020年12月撮影
トップ画像は、紀勢本線湯浅駅。旧駅舎です。見た瞬間「残っていてよかったぁ!」と思いました。
旧出入口をアップにすると・・・。 ※強調するために黄色で囲んであります
※2020年12月撮影
「←JR 湯浅駅」と掲示されています。
えっ よく見えない?
了解、無理矢理トリミングします。
※2020年12月撮影
出入口が閉鎖されているので旧駅舎に入るコトはできませんが、確かに1927年(昭和2年)以来使われてきたので、ついこちらに来てしまうかもしれません。
旧駅舎前から矢印の方を見ると、新しい駅舎と「湯浅えき蔵」と表示された大きな建物があります。
※2020年12月撮影
湯浅駅は、1927年(昭和2年)国有鉄道紀勢西線が藤並駅から伸張されて新しく開設された終着駅でした。当時、有田鉄道湯浅駅があったので駅名は紀伊湯浅駅でした。翌1928年(昭和3年)紀勢西線は紀伊由良駅まで開業します。
ここで初めて有田鉄道が出てきました。有田鉄道は、有田で採れる木材やミカンなどを積出港であった湯浅港に運ぶために地元で設立され、1915年(大正4年)海岸駅と下津野駅間が開通。翌年には金屋口駅まで延伸。1926年(大正15年)国有鉄道紀勢西線藤並駅が開業したことでミカンを満載した貨物列車が国有鉄道を通じて出荷されることが可能になりました。紀勢西線と並行していた海岸駅~湯浅駅~藤並駅は、1944年(昭和19年)不要不急路線として休止。1959年(昭和34年)海岸駅~湯浅駅~藤並駅は廃止。
有田鉄道の藤並駅~金屋口駅間は、最終的には1日2往復と運行本数を減らしながら2002年(平成14年)の廃止まで継続しました。この有田鉄道には熱心なファンがいて関連書籍など刊行されている様です。元の金屋口駅構内が有田川鉄道公園に整備され、最後まで稼働していた車両(レールバス)が動態保存されています。ここには行ってみたいです。
湯浅駅の話に戻ります。
1959年(昭和34年)紀勢本線は全通。1964年(昭和39年)湯浅駅に改称。1992年(平成4年)まで有田鉄道は湯浅駅に乗り入れていました。2020年(令和2年)旧駅舎北側の湯浅町の町有地に新築の駅舎と「湯浅えき蔵」が開業。
これがその新しい駅舎と「湯浅えき蔵」。
※2020年12月撮影
新しい駅舎の前から旧駅舎を見ています。左の構内跨線橋から降りたホームに続く旧駅舎への階段が残っています。
※2020年12月撮影
筆者は紀勢本線をレンタカーで移動していますが、毎日青春18きっぷには日付押印をもらって駅に入れる様にしています。ホームから旧駅舎を見ていたらJRの乗務員さんが出入りしていました。和歌山電車区湯浅駅乗務員詰所に使われているのでしょうか。
※2020年12月撮影
旧駅舎が現役の時に内部を見たかったのですが、残念でした。
※2020年12月撮影
※鉄道の撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいています。撮影は何よりも安全が最優先。あくまでも業務・利用の邪魔にならないように、そしていつも感謝の気持ちを持って撮影しています。
(写真・文章/住田至朗)