おおさか東線 城北公園通駅と淀川橋りょうの間を、10年前にタイムスリップして歩いてみる。

10年前の淀川橋りょうは、淀川下流側(おおさか東線 新大阪方面)が線路で、上流側(おおさか東線 久宝寺方面)が、画像↑↑↑のように歩道・自転車道だった。

ジョギングや散歩、サイクリングする人たちのすぐ脇を、こうして電気機関車やディーゼル機関車がけん引する貨物列車などが走っていた。

通称 赤川鉄橋を歩いてみえた景色

歩けた時代の淀川橋りょう(赤川鉄橋)からは、生駒山から連なる山々、赤川地区 サッカー・ラグビー場がみえた。いまは電車の車窓からみえる風景。

この淀川橋りょうからおおさか東線 城北公園通駅あたりまでは、線路を境界に東側が大阪市旭区、西側が大阪市都島区(みやこじまく)。

歩道からみえた城東貨物線の軌道

歩道から、久宝寺方をみる。10年前の城東貨物線時代は、久宝寺方面(東側・画面左側)の線路を敷くスペースが確保されていた。

当時は画像のように単線線路に勾配があった。この先にみえるカーブの手前に城北公園通駅ができた感。

この軌道はいま、画面左側に盛土などを追加し基盤整備され、真っ直ぐにのびる複線線路が敷かれている。

おおさか東線にむけて架線柱も軌道もすべて新しくなり、この区間もコンクリート製の高架橋へと変わった。

―――10年前の城東貨物線 淀川橋りょうを歩く午後。その架道橋脇を下校する地元高校生も、いま20代なかば。