※2022年6月撮影

トップ画像は、葛飾八幡宮神門。ここから境内に入ります。

葛飾八幡宮は、下総(しもうさ)国の国府を守護する八幡宮として平安時代(9世紀末)に創建されたと伝わります。下総国総鎮守。

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古(いにしえ)の下総国葛飾郡は、現在の千葉県、埼玉県、茨城県、東京都にまたがる極めて広大な郡でした。江戸時代初期に西部分(葛西)が武蔵国に編入され、下総国葛飾郡と分割されます。国府台駅の【駅ぶら】に登場した万葉集の歌にも「葛飾」という言葉が何度も使われていました。

拝殿。祭神は、誉田別命(応神天皇)、息長帯姫命(神功皇后)、玉依姫命(神武天皇の母)。丁寧にご挨拶します。

※2022年6月撮影

何故か神社にお寺の鐘楼堂。神仏習合時代の名残です。その手前に力石。

平氏追討の挙兵をした源頼朝が負けて安房国に逃れ千葉氏らの援軍を得て再起した時、戦勝祈願でこの宮に参拝しました。頼朝の馬が蹄の跡を残した「駒どめの石」があります。

※2022年6月撮影

広い境内には多くの境内社があります。

※2022年6月撮影

弁天池に浮かぶ厳島神社。

※2022年6月撮影

江戸城旧石垣刻印石、江戸城築城に関わった藩の家紋や符号が刻印された大石。何故ここに運ばれたのかは分かりません。

※2022年6月撮影

その背後に、文政七年(1824)の道祖神。日月瑞雲と台座に三猿があるので庚申塔ですね。右には享保十年(1725)の庚申塔、青面金剛、三猿がハッキリ分かります。

※2022年6月撮影

葛飾八幡宮を退出。気になっていた「市川市役所第一庁舎」を見に来ました。

※2022年6月撮影

旧庁舎の老朽化で2020年に新築された7階建。北側が緑化されているので、遠くから見た時小さな山かと思ったのです。山下設計のデザイン。

※2022年6月撮影

「市川市役所第一庁舎」の西側を歩いて千葉街道にあたると「八幡の藪知らず」があります。古くからの禁足地。

※2022年6月撮影

市川市教育委員会の案内がありました。

「不知八幡森(通称:八幡の藪知らず)は江戸時代の地誌・紀行文などに「入ってはならない所」「一度入ったら出てこられない所」「入れば必ず祟(たた)りがあると恐れられた」などと記載され「諸国に聞こえて名高き所」と全国的に有名でした。〈中略〉諸説ありますが、「藪知らず」が古代から八幡宮で行われた「放生会(ほうじょうえ)」の場所であった可能性があります。中世に千葉氏の支配下で栄えましたが、その後荒廃し八幡宮の「放生会」も途絶え、「放生地」には「入ってはいけない」ということのみが伝承されたことから様々な怪異譚が創作されたのではないかと思われます。」

不知森神社が祀られています。この一画にだけ入ることができます。

※2022年6月撮影

千葉街道、「八幡の藪知らず」の前を西に歩くとすぐに葛飾八幡宮一之鳥居があります。奥に京成線踏切と二之鳥居も見えました。

※2022年6月撮影

この日の【駅ぶら】は、京成八幡駅で終了。筆者はJR本八幡駅から総武線で三浦半島に帰りました。八幡一番街商店会で見つけた寿司屋さん。暖簾がとてもチャーミングでしょ?

※2022年6月撮影

次回は、京成八幡駅から鬼越駅に向かいます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。