【私鉄に乗ろう 69】広島電鉄 宇品線 その2(15)

皆実町交差点を右折します。

300mで広大附属学校前停留場。1935年(昭和10年)宇品線が宇品通りの新線に移設された時に開業しています。当時は、旧制広島高等学校があって高等学校前停留場でした。戦時中に廃止されますが戦後間もなく皆実分校前停留場として復活。

1955年(昭和30年)広大教養部前停留場、1961年(昭和36年)に広大附属高校前停留場、1964年(昭和39年)広大附属学校前停留場になりました。

ADVERTISEMENT

300mで県病院前停留場。下りホームが手前にありました。1935年(昭和10年)の宇品線新線移設時の開業。最初は広陵中学前停留場。

1948年(昭和23年)に原爆で焼失した公立広島病院が県立広島病院として停留場近くに開院、県病院前停留場に改称されています。上りホームは混んでいます。

300mで宇品二丁目停留場。やはり1935年(昭和10年)の宇品線新線移設時に、女専前停留場で開業しています。当時は広島女子専門学校がありました。戦後の学制改革で広島女専に代わって広島女子大学(現・県立広島大学)になり女子大前停留場に改称。1953年(昭和28年)頃に宇品十三丁目停留場になりましたが1968年(昭和43年)町名変更で宇品二丁目停留場になりました。不思議な事に所在地名は、宇品神田一丁目なのです。

200mで宇品三丁目停留場。1935年(昭和10年)の宇品線新線移設時に十丁目停留場として開業。戦後宇品十丁目停留場になりましたが町名変更を受けて1968年(昭和43年)に現在の宇品三丁目停留場になっています。ここも所在地は宇品神田三丁目なのです。

400mで宇品四丁目停留場。1935年(昭和10年)の宇品線新線移設時に七丁目停留場として開業しました。戦後の宇品七丁目停留場を経て1968年(昭和43年)宇品四丁目停留場に改称されています。所在地は宇品神田三丁目。

わずか200mで宇品五丁目停留場。1935年(昭和10年)の宇品線新線移設時に四丁目停留場として開業。戦後宇品四丁目停留場になりましたが町名変更を受けて1968年(昭和43年)に現在の宇品五丁目停留場になっています。ここも所在地は宇品神田五丁目です。

500mで海岸通停留場。やっと宇品○丁目から解放されました。(笑)眼の前を横切るのは国道2号線と高架の広島高速3号線。

1935年(昭和10年)宇品線が新線に付け替えられる以前、旧線時代の終点が宇品停留場でした。新線になって宇品桟橋前停留場が置かれました。戦時下、いったん廃止されます。1950年(昭和25年)に海岸通停留場として復活しました。2002年(平成14年)国道2号線と広島高速3号線の建設によって現在地に移設。

【私鉄に乗ろう 69】広島電鉄 宇品線 その3(16) に続きます。

(写真・記事/住田至朗)