※JR北海道根室本線白糠駅2014年7月

【50代から始めた鉄道趣味】その18 脱線3

お酒の話に戻します。

個人的な話で恐縮ですが、社会人になった直後に強度の神経症になってぶっ倒れ、救急車で運ばれる騒動になりました。その後は精神安定剤漬け状態。その向精神薬がイヤだったので、お酒を飲むことにしたのです。(睡眠薬の代わりです)

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そこで初めて日本酒の美味しさを知りました。純粋な純米酒(何かヘンだな)に出会ったのです。最初に飲んだのは福島の”自然郷”という純米酒でした。それまで飲んできた大メーカーのアルコールを添加した日本酒とは同じカテゴリーの飲物とは思えないふくよかで旨味のあるお酒でした。

それまでは、日本酒って美味しくないし、アタマが痛くなる、と忌避していました。

ウソでしょ?というくらいに、マジメに丁寧に作られた本来の日本酒は馥郁と旨かった。考えてみれば、日本酒は、戦時中まで千年以上に渡って本来は全て純米酒だったのです。

ところで、古典落語を聞いていると「日本酒が薄いだの濃いだの」言っていますよね。

江戸時代は、灘や伏見で醸した日本酒を船で江戸まで運んでいたのですが、火をいれて発酵を止めていないので「運んでいる間に発酵が進んで酢になっちゃう」んです。そこでどうしたかというと「粕とり焼酎」、お酒を絞った後の酒粕を更に発酵させてアルコール度数50度くらいの焼酎を造って、コレをふな口から絞った生の日本酒(アルコール度数は20度以上あります)に混ぜ込んで発酵を止めていたのです。

コレを樽に詰めて江戸に運んで小売りする際に現在のアルコール度数と同じ15度くらいに水で割って売っていたのです。だから割る水の加減で「濃い」「薄い」があったワケです。つまり江戸で売られていた日本酒は「原酒+粕とり焼酎+水」でした。

酒蔵に行ってふな口から絞られる原酒を飲んだら、その濃さと馥郁とした奥行きに腰を抜かしますよ。

筆者は時々買い出しに行っていた五日市の喜正の蔵で先代さんからその年最初に絞るお酒をふな口から飲ませてもらったことがあって、マジでその美味にぶっ飛びました。クルマで行っていたので半日くらい珈琲を飲んだりしてアルコールを抜くのに苦労しましたが、20年以上前に亡くなった喜正の先代と楽しいお酒の話をしたことが良い思い出です。

戦時中に米が足りなくなって、無味無臭の醸造用アルコールで薄めて量を三倍増した日本酒(アル添酒・三増酒)が出回ったことが日本酒を堕落させた、と言われています。

戦後は、タダの様な安い醸造用アルコールで薄めた日本酒で大手メーカーは大儲けしたのですが、日本酒本来の旨さを失った日本酒は消費者から徐々に見捨てられました。今でも大手メーカーはその成功体験が忘れなくて「アル添酒・三増酒」のCMをやっています。この方向性を根本的に変えないと日本酒という文化は衰亡しちゃいますね。

閑話休題

※JR東日本五能線千畳敷駅2014年7月

それから40年近く様々な純米酒を飲んできましたが、その間を通じて日本酒の基準にしているのが京都伏見の玉の光というお酒です。戦前からの伝統を守って戦後もアルコールを添加したお酒を造らず純米酒だけを醸している蔵です。

ちなみに筆者は吟醸酒を好みません。諏訪湖の畔、真澄の蔵付酵母から端を発した吟醸酒ですが、吟醸酒ブームで無闇に吟醸香の強いお酒が多くてウンザリしています。(真澄の純米酒は大好きですが)

筆者は基本的に食事の時に日本酒をいただきます。要はお酒で舌を洗うのです。しかし、吟醸香は、繊細な食事の邪魔をします。極めて淡白な平目の刺身を茶塩かなんかで食べている時に吟醸香がしたら、そりゃダメでしょ?

食後酒や食前酒に飲むのならば吟醸酒もまだ良いかもしれませんが、それなら個人的にはグラッパかカルヴァドスの方が好きです。

それに吟醸酒って、米を削り倒して意味も無く高価です。(笑)

最近評価しているのは、灘・伏見の大手メーカーが普通に作っている純米酒です。地酒は小さな蔵で年によって出来不出来がありますが、流石に大メーカーはコンピュータ管理なのでしょうか、白鹿も月桂冠山田錦も黄桜も純米酒は安定してサラッと美味しいんです。しかも安い!(笑)

個人的には、吉田健一さんの愛した菊正、その純米酒も美味しいので、冷蔵庫に1.8リットルの紙パックが常備されています。

いずれにしても、醸造用アルコールで薄めた原価の安い「日本酒もどき」で大儲けしてテレビCMをバンバン打つよりも、丁寧に醸した純米酒をリーズナブルに提供し続ける方が、結果的に日本酒の美味しさと料理との相性を再認識する日本人が増えて、日本酒の消費も伸びると思います。

きっと松尾の神様も嘉納されるでしょう。

心配なのは「米糠」までを「米」と言いなして、インチキな純米酒を大手メーカーが造ることです。技術的には可能ですから。既に細かなクズ米を溶かして作る「融米造り」などと称するインチキがまかり通っています。とにかく、マジメに丁寧に造られた純米酒を飲み続けたいと思います。

脱線、続きます。

※JR四国土讃線新改駅2014年9月

芦原伸さんの著作を読むことも読鉄の喜びですが、しばしば芦原伸さんは明るいウチからスキットルの蒸留酒をコクっと飲んじゃうんです。これが、羨ましい。

実はドイツでWFMのスキットルを買ってきたのですが、好物のグラッパを入れて持ち歩く前に酒好きの友人にあげちゃいました。

筆者は昼酒を正月元旦以外は嗜まないんです。意志が薄弱なので全てを投げ出してお酒を飲み続けてしまうからなんですけど。サラリーマン時代もビジネスランチでビールを飲む習慣に馴染めなかった。だって飲み始めたら飲むのを夕方まで中断するなんてイヤですから。(笑)

鉄道旅でも、夕暮れになって写真が撮れなくなって、初めて一献します。これが開放感とともに実に美味しい。明るい車窓をボンヤリ眺めながら飲むのは楽しそうですが、今のところは暗くなるまで待ってます。

いつになったら芦原伸さんの様な大人の旅人になれるんでしょうか。

※長良川鉄道沿線2014年9月

【50代から始めた鉄道趣味】その19 脱線4 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)