※2022年8月撮影

トップ画像は、JR四国予讃線伊予大洲駅。駅舎内から駅出入口。この駅にも暖簾がかかっています。

ここまで予讃線で筆者が見てきた駅では、伊予上灘駅、伊予長浜駅、伊予白滝駅にもかかっていました。小さく横文字で「IYONADA MONOGATARI」と書かれています。

近距離きっぷ運賃表。予讃線も宇和島駅までとなりました。

※2022年8月撮影

JR四国さんから撮影許可をいただいている旨を伝えたらすんなりホームに出していただけました。ホーム側から改札口。こちらにも暖簾がかかっています。

※2022年8月撮影

下灘駅で見送った観光列車「伊予灘ものがたり」が10時半頃到着した後です。武者姿の方が観光列車のお客さんに大洲のパンフレットを配った後、下りホームから戻って来られるところでした。筆者の伊予大洲駅着は11時でした。

※2022年8月撮影

駅舎のある1番のりばで駅名標をいれて戻って来た武者姿の記念撮影。

※2022年8月撮影

武者氏は「すごく暑いですよ~」と笑っておられました。

松山側の構内跨線橋で下り島式ホームに渡ります。

※2022年8月撮影

跨線橋も木造でシブイ。

※2022年8月撮影

跨線橋から宇和島駅方面。大洲城が見えます。

※2022年8月撮影

望遠レンズで大洲城。

※2022年8月撮影

こちらは松山方面。駅舎の瓦屋根が良い感じです。

※2022年8月撮影

下りホームにあった旧線「愛ある伊予灘線」と新線の路線図。

※2022年8月撮影

ホームから駅舎。

※2022年8月撮影

下りホーム駅名標。西大洲駅が下り方面、旧線「愛ある伊予灘線」は五郎駅、新線内子経由が新谷(にいや)駅です。

※2022年8月撮影

伊予大洲駅の歴史は前回書きましたが、簡単にふり返ります。1918年(大正7年)愛媛鉄道の終点大洲駅として開業。1933年(昭和8年)愛媛鉄道の国有化で伊予大洲駅に改称。1935年(昭和10年)軽便鉄道の軌間から狭軌(1067mm)に改軌とともに駅の位置も移動。1986年(昭和61年)内子経由の予讃線短絡ルートが開通、優等列車が新線経由になりました。1987年(昭和62年)国鉄分割民営化でJR四国の駅になります。

ホーム側駅舎正面。

※2022年8月撮影

松山側から駅舎。

※2022年8月撮影

暑い日に汗をかきながら跨線橋を渡ったのですが、冬の寒い日にコラムを書いていると不思議に暑さを感じさせない写真ですねぇ。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などはJR四国さんの許可をいただいて撮影しています。

※駅などについては『JR全線全駅』(弘済出版社/1997)、『週刊朝日百科 JR全駅・全車両基地01-60』(朝日新聞出版/2012-2013)、『山陽・四国920駅』宮脇俊三・原田勝正編(小学館/1993)、『停車場変遷大事典 国鉄 JR編1-2』(JTBパブリッシング/1998)他を参照しています。

※タイトルは『木造駅舎』ですが、厳密に「構造として木造建築」の駅舎ではなく、筆者が気に入った駅舎を恣意的に選んでいます。明らかに木造建築と異なる場合でも、煩雑を避けるためタイトルは【木造駅舎コレクション】で進行します。悪しからずご了承ください。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいています。