武蔵國府八幡宮にお詣りしました【駅ぶら】06京王電鉄 京王線134
※2023年8月撮影
トップ画像は、東府中駅北口から旧甲州街道を西に歩いて、京王線の踏切を渡るところ。
踏切から、東府中駅。橋上駅舎が大きいのが分かります。奥は新宿方面になります。
※2023年8月撮影
この部分では、旧甲州街道の横を府中競馬正門前駅と往復する支線が走っています。
※2023年8月撮影
少し歩くと府中市の「由来碑」がありました。東府中駅から400mほどでした。
※2023年8月撮影
「八幡宿」です。
※2023年8月撮影
記載内容は以下です。
八幡宿(はちまんしゅく)は、現在の八幡町1・2丁目の一部(旧甲州街道沿い)に集落の中心があった村落です。この村落は六所宮(大國魂神社)の社領に属しており、『新編武蔵風土記稿』(幕末の地誌)には「六所社領」の小名としてその名が見えます。
もともと八幡宿は、国府八幡宮の周囲に発達した村落ですが、甲州街道が開設(慶安頃=1648~52)されたのに伴って街道筋に移動したものです。宿場町のような村名ですが、八幡宿は農業を中心とした村落です。
地名の起こりは、この地に国府八幡宮が鎮座していることによります。国府八幡宮は、由緒深いお宮で、聖武天皇(在位724~749)が一国一社の八幡宮として創立したものと伝えられています。」
旧甲州街道をさらに100mほど歩くと「武蔵國府八幡宮」の鳥居があります。扁額は「八幡宮」。
※2023年8月撮影
この辺りから100mほど北を通る京王線に、1916年(大正5年)10月に「八幡前」駅が開業したのではないでしょうか。1937年(昭和12年)に「東府中」と改称されましたが、その後現在の「東府中駅」に吸収合併されて駅は廃止されています。
参道を南に150mほどで京王線の府中競馬正門前に行く支線の踏切があります。
※2023年8月撮影
踏切から「府中競馬正門前駅」のホームが見えたので東府中駅よりも近いですね。
※2023年8月撮影
踏切を渡るとまた鳥居があります。帰りに裏側を見たら「京王帝都電鉄株式会社」「昭和三十年四月吉日」と刻まれていました。参道を横切る形で「府中競馬正門前駅」までの支線が開業したのは、1955年(昭和30年)4月でした。
※2023年8月撮影
とても立派な門です。これは「大國魂神社」の「随神門」が移築されたものです。
※2023年8月撮影
参道は直角に東に曲がります。大國魂神社のホームページによれば「京都の石清水八幡宮が皇城の守護神であるように、諸国にある八幡宮もその国府の守護神として建立されたため、此処の八幡宮は西向きになっている。」と書かれています。右の「手水舎」の水盤も「大國魂神社」から移された文化10年(1813)のものです。
※2023年8月撮影
神様にご挨拶しましたが、門は閉ざされていて玉垣の中には入れません。
※2023年8月撮影
木々の奥に本殿が見えました。広い林の中にあって蝉の声が凄くて怖いほど。正に「鎮守の森」です。(笑)
※2023年8月撮影
帰りも旧甲州街道で東府中駅まで戻りました。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)