【鉄の一瞥 33】 横浜 汽車道を歩いてみました その1
汽車道は線路です
今回は汽車道が現役だった頃の30年くらい前の古い写真を知人に見せてもらったので、今の様子を見に来ました。
島国日本の貿易は船舶によって支えられています。そして船舶の荷物を積み降ろしする港に荷物を運ぶのはトラックの時代になるまで長らく鉄道の役割だったのです。1909年(大正元年)に横浜駅(現・桜木町駅)の沖に細長い人工島を作り3つの橋で結ぶという現在の汽車道の元になった税関線が作られました。この時の橋梁が現在も残されているのです。紆余曲折がありましたが1911年(明治44年)頃には臨港線が貨物線として活躍するようになります。1920年(大正9年)からは太平洋航路の旅客船の乗り場に接続するポートトレインも運行されました。
桜木町駅から海に向かう散歩道
桜木町から交差点を渡って大岡川を越えると橋が見えてきます。これが第一号橋梁です。1907年(明治40年)アメリカン・ブリッジ製100フィート・トラス橋とプレートガーダー橋2連の組み合わせです。設計は日本の鉄道院。昔の写真では背景にこんな高層建物はもちろんありませんでした。
さっそく橋に向かって歩いてゆきます。橋の手前に汽車道の標識がありました。
足下には橋に向かって線路が通っています。本物のレールです。
これが第一号橋梁。今歩いている先の木製デッキ部分がプレートガーダー橋2連ですが上にいるとわかりません。
当たり前ですが、トラス橋の部分は良くわかります。
トラス部分にはプレートがありました。
さらに渡り終えたところに説明板。
しばらく線路が続きます。
そして第二号橋梁、第一号橋梁の100フィートトラスと同型で同じ1907年(明治40年)アメリカン・ブリッジ製。
こちらにも銘板があります。
ほとんど同じですね。
線路をたどって、
橋を渡った場所に、説明板です。
さらに行くと線路の横に、また小さなトラス橋がありました。
このトラス橋は最初からここにあったのでは無く、1928年(昭和3年)横浜生糸検査所引き込み線用に大岡川に架けられた橋でした。この橋が北海道炭礦鉄道夕張線で使われていた100フィートトラス橋などを転用したものだったのです。機関車が重くなってイギリス製トラス橋からアメリカ製に日本の鉄道橋が換わっていった中で、古いイギリス製の橋梁として残っている貴重なものなのだそうです。確かに日本の鉄道、最初はイギリス人が指導したものでした。
改めて見てみるとアメリカ製トラス橋との差は歴然としています。
別の角度から見てみると、なかなか愛らしく魅力的です。
さらに線路は続いています。ナビオス横浜というビル(ホテル)はこの線路を避けるためにあの形にデザインされたのでしょうか?
遠く赤レンガ倉庫が見えます。流石、土木学会デザイン賞です。
・・・と交差点まで来て線路は終わってしまいました。これでお仕舞いでしょうか。
「【鉄の一瞥 33】 横浜 汽車道を歩いてみました その2」に続きます。
(写真・記事/住田至朗)