大阪環状線・桜島線(森ノ宮電車区所属)の103系があと1本! 高度経済成長の申し子、103系の足跡を振り返る
登場から約50年、日本の足として活躍してきた通勤型電車、103系。長きに渡って活躍した103系が次々と有終の美を飾ろうとしています。2017年7月現在、323系の導入により、103系の牙城であった大阪環状線・桜島線(森ノ宮電車区所属)の103系も残り1本。いつ、大阪環状線・桜島線の103系が消滅してもおかしくない状況です。そこで、今回は103系の足跡を一鉄道ファンの目線から振り返りたいと思います。
高度経済成長の申し子、103系
103系は高度経済成長期以降の国鉄・JR、そして日本を支えてきた通勤型電車です。103系は1962年に新性能電車101系の後継としてデビューしました。101系は軽量車体、カルダン駆動を採用したエポック的な車両でした。また、茶色の電車が多い中で鮮やかな黄色の車体は、乗客から大いに注目されました。しかし、101系は変電所への負担が問題視され、より経済的に効率のいい通勤電車が求められたのです。
そこで、国鉄は101系をベースに、より経済的な通勤電車の新造を計画しました。それが今回の主役である103系です。103系は変電所の負担を減らすための機器を導入したうえで、主要な通勤路線(山手線、京浜東北線、中央緩行・総武線、城東線:大阪~天王寺、阪和線)に導入することが計画されました。これらの路線はいずれも駅間距離が比較的短い路線。そのため、減速度を重視し、定格速度は低めに抑えられました。この時点では駅間距離の長い東海道、山陽本線緩行電車や常磐線に導入することは検討されなかったのです。
車体は国鉄型通勤電車の標準である20m4扉が採用されました。乗り心地をよくする空気バネの導入も検討されましたが、経済性の追求から空気バネの導入は見送られました。1962年に試作車が登場し、翌1963年から量産車がデビュー。最初に投入された路線は山手線となり、車体の色はうぐいす色(黄緑6号)が採用されました。つまり、「うぐいす色」の山手線は103系のデビューから始まったのです。
日本各地で見られた103系
103系の量産車は1963年~1984年の21年間、計3,447両が製造されました。国鉄は1987年に分割・民営化されたので、今後、同一形式で103系の製造車両数を超える車両は登場しないでしょう。
103系は北は宮城県の仙石線、南は福岡県と佐賀県を結ぶ筑肥線まで全国各地で活躍しました。一見すると同じような車体ですが、製造年によってマイナーチェンジされています。国鉄時代に製造された103系は大きく基本形の0番台・500番台、営団地下鉄千代田線・東西線乗り入れ用の1000番台・1200番台、筑肥線で活躍する1500番台に分けられます。1983年に登場した1500番台の前面は105系、車内は201系に似ています。
103系の基本形をよく見ると、運転台が低いタイプ(低運転台)、運転台が高いタイプ(高運転台)があります。高運転台はATC向けに登場した1974年が始まりです。したがって、高運転台のほうが低運転台よりも新しいということになります。
ところで、大阪環状線・桜島線に103系が投入されたのは1969年の11月のこと。当初は6両編成2本しか投入されませんでした。その後、続々と投入された結果、国鉄分割・民営化前の森ノ宮電車区所属の103系は8両編成28本、6両編成5本、計254両となりました。
国鉄時代、103系の後継車として、201系、203系、205系が誕生しましたが、103系の天下は変わりませんでした。また、103系をローカル線向けに新造・改造した105系も活躍しました。
東は置き換え、西は改造、異なる103系への対応
1987年のJR発足以降、103系は東と西で全く異なる運命をたどりました。2017年現在、JR東日本、JR東海の管区内に103系は存在しません。一方、JR西日本、JR九州では数を減らしながらも、まだまだ現役で活躍しています。ここではJR東日本とJR西日本を取り上げ、民営化以降の103系のあゆみを簡単に振り返ってみましょう。
JR東日本の103系は次々に登場する新型車両(205系、207系、E501系など)に置き換えられました。まず、1988年に205系にバトンを譲る形で山手線から撤退しました。山手線撤退後は横浜線や埼京線へ転属されました。しかし、世代交代の流れは早く、2006年、常磐線快速・成田線からの撤退を最後に関東の103系は消滅。2009年、仙石線からの撤退により、JR東日本所属の103系の運用は消滅しました。
一方、JR西日本の103系はより長期に渡って活躍できるように、延命工事が施されました。この延命工事の内容はその時のJR西日本の考え方によって異なっており、多岐に渡っています。例えば「体質改善N40工事」が施された103系の車内は新車そのもの。とても103系とは思えない仕上がりになっています。大阪環状線・桜島線(森ノ宮電車区所属)の最後の103系も「体質改善N40工事」がなされた車両です。
確かにJR西日本でも207系や321系が登場しましたが、103系淘汰のスペースはJR東日本と比べると緩やかなものでした。「改造しながら長く使う」これがJR西日本の103系に対する接し方と言っても過言ではないでしょう。
しかし、JR西日本でも103系のフィナーレが見えてきました。一鉄道ファンとしては、103系に「長きのご活躍、お疲れ様でした」と言いたいところです。
(新田浩之)
参考文献
毛呂信昭『103系物語』、JTBパブリッシング、2012年
柴田東吾『普通列車年鑑2017-2018』イカロス・ムック、2017年