43.2kmに24駅単線非電化【私鉄に乗ろう80】島原鉄道 その1

2019.02.27

※この「私鉄に乗ろう」の写真は、筆者がプライベートな旅で撮影したものです。鉄道会社さんから許可をいただいていませんので、乗車券があれば誰でも入れる場所から、手持ちで撮影したスナップ写真です。ポケットに入るコンパクト・デジタルカメラ(SONY DSC-WX500)で撮影しています。2018年7月20日に撮影したモノがメインです。2016年7月31日撮影の写真も使いますがその場合はその旨記載します。例えばこのトップ画像は2016年撮影。西郷駅です。

島原鉄道には2回乗りに行っています。最初が2016年7月31日。この時は残念ながら逆光気味で写真がイマイチでしたが、そのまま島原外港からフェリーで熊本に渡ってしまったので片道しか乗っていないのです。それで2018年7月20日は熊本からフェリーで島原外港に来て、諫早を目指す逆コースに乗りました。

※2016年撮影

2008年までは島原外港から先、加津佐までが廃止されてしまいました

歴史を簡単に振り返っておくと、島原鉄道によって諫早〜南島原間が1911年(明治44年)〜1913年(大正2年)に開業されました。1922年(大正11年)から1928年(昭和3年)に不知火鉄道(後の口之津鉄道)が島原湊〜加津佐間を開業。1943年(昭和18年)には、島原鉄道が口之津鉄道を合併して諫早〜加津佐間が島原鉄道島原線になります。1958年(昭和33年)からは諫早で国鉄に乗入れ長崎まで直通運転開始。1960年(昭和35年)には博多への直通運転も始まりましたが1980年(昭和55年)に廃止されました。1991年(平成3年)の雲仙普賢岳の火砕流で南島原〜布津が半年間不通に、翌1992年(平成4年)にも土石流で島原外港〜深江間が不通になり結果的に1997年(平成9年)にこの区間が高架化され運転が再開されました。

島原鉄道の赤字の80%が南島原〜加津佐間から発生していたため、何度か廃止が俎上に上がっていましたが、その度に住民の反対などで立ち消えになりました。しかし、2008年(平成20年)島原外港〜加津佐間35.3kmが廃止されました。普賢岳噴火で建設された高架線も廃棄されてしまったのです。なんだかもったいないなぁ。廃止前に乗りに来るべきでした。雲仙普賢岳の麓を走る列車の車窓が見たかったなぁ。

下図は島原鉄道ホームページにある路線図です。

諫早から島原外港まで43.2kmに24駅あります。全線非電化単線。

今回は熊本で交通局の路面電車や熊本電鉄でくまモンの列車を撮影してから翌朝バスで港に移動。9時頃出港のフェリーで島原に渡りました。

1991年(平成3年)6月の火砕流で死者・行方不明者52人の犠牲者を出した雲仙普賢岳が見えてきました。

島原のフェリーターミナルに9時50分頃入港。この日はたしか気温が体温よりも高くなった日でした。まだ10時前ですが、既にめっちゃ暑い。

フェリーターミナルから1kmも離れていませんが、真夏とは言え10日分の着替えとパソコンなどを持って歩くのは辛かった! 島原鉄道の踏切についてホッとします。

島原外港駅。無人駅です。

そのまま踏切まで行って、10年前に廃止された加津佐方面に延びる線路を観ます。右奥に雲仙普賢岳の一部が見えています。

木々が覆い被さって、残念ながら先は見えません。上り側へのポイントは撤去されています。

ホームの日影に逃げ込んでようやくひと息つきます。幸い自販機があったので冷えたお茶で生き返りました。

駅名標。2008年(平成20年)加津佐までが廃止された時は、南島原から先が廃止の予定でしたが島原市の要望で島原外港駅は存続となりました。それ以降は、旧上りホームは使用されず、実質的には1面1線の単式ホームになっています。2010年(平成22年)木造の旧駅舎が火事で全焼。出火原因は待機していた乗務員の煙草の不始末だった様です。

【私鉄に乗ろう80】島原鉄道 その2 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)

TAGS 島原鉄道


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