昭和元年(1926年)〜昭和2年(1927)に建てられた駅舎です

日本で最初にSLの動態保存を始めた大井川鐵道、SLの基地でもある新金谷駅が国の登録有形文化財になりました。木造二階建ての駅舎は建築された当時の面影を十分に残しています。

新金谷駅舎の建築面積は308.05㎡。スレート瓦葺、外壁は南京下見板張にピンクのペンキが塗られています。軒下部分は漆喰塗り。窓は木製の上げ下げ窓で青のペンキ塗装。戦前に建築された地方鉄道の様相を伝える洋風建築です。

1階は待合室、出札室、駅事務室、乗務員室に使われています。2階は大井川鐵道の事務所です。

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大井川鐵道と言えばSLの動態保存が有名ですが、1970年代、旧国鉄は「動力近代化計画=無煙化」を推し進めていました。1976年(昭和51年)までに全ての蒸気機関車を廃止すると宣言していたのです。

蒸気機関車が旧国鉄から「旧悪」として葬られてゆく中「この蒸気機関車を動態保存して観光的な目玉にしよう」と考えたのが日本ではただ一人、大井川鐵道の白井昭氏だったのです。

しかし当時の国鉄は蒸気機関車を整備して走らせるなど「歴史に逆行する許しがたい行為」として大井川鐵道への蒸気機関車譲渡を拒否したのです。

そこで一計を案じて地元の川根町が廃車された蒸気機関車を引き取ることにしました。当時大井川鐵道には、電化以前に蒸気機関車を整備して走らせていた社員が残っていたのです。彼等が大井川鐵道千頭駅構内に「保存」されていたC11 164をこっそり整備したのです。

その後、旧国鉄も態度を軟化させ、北海道釧路機関区標茶支所にあった程度の良いC11227を簿価の500万円で大井川鐵道に譲ってくれました。これが今も夏になると「きかんしゃトーマス」に変身して大喜びする子供たちを乗せて元気に走っています。

背景に写っているのが新金谷駅舎です。

1955年(昭和30年)には5000両近くあった蒸気機関車が、大井川鐵道がSL急行の第一号「かわね路号」を走らせた1976年(昭和51年)には事実上姿を消していたのです。大井川鐵道がSL再発見に果たした役割の大きさがわかりますね。