【私鉄に乗ろう 65】和歌山電鐵貴志川線 その2

1974年(昭和49年)361万人を越えていた輸送実績(乗車人員)が、2005年(平成17年)には192万人まで減少、和歌山電鐵に事業継承された2006年(平成18年)には211万人まで戻し、2015年(平成27年)たま駅長が卒した年には232万人に達しましたが、その後はまた減少傾向の様です。世間では「猫に救われた鉄道」などという声もありますが、猫でも何でも救ってくれるものは「神様」なのです。

おもちゃ電車=OMODENの側面。入口にバス式の整理券発行機があります。

車内吊りも「おもちゃ電車」ベビーサークルが見えています。

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ドアが閉まって出発です。ここにも「おもちゃ電車のマーク」。

前面展望は真ん中から狙います。車両製造当時は貫通扉があった部分。

駅を離れました。右への側線はJR線と繋がっています。和歌山電鐵の車両が南海電鉄の工場などに甲種輸送されるのでしょうか。

後方展望、復路で撮ったものです。和歌山電鐵は単式ホームと側線があります。

JR線と並走しますがすぐに左に離れます。

0.6kmで田中口駅。ホームがカーブしてます。

駅名標。1922年(大正11年)国鉄紀勢西線(現在の紀勢本線)和歌山駅(現・紀和駅)〜箕島駅間が開通して東和歌山駅(現・和歌山駅)が開業しました。山東軽便鉄道はこの東和歌山駅に乗り入れるため、秋月駅(現・日前宮駅)から東和歌山駅までの路線を新たに開通させます。旧線上にあった大橋駅は、新線開業後廃止。新しい路線に途中駅が無く、もとの大橋駅を利用していた住民が請願して、田中口駅が1924年(大正13年)に開業されました。元の大橋駅とは700m程離れているそうですが、ほぼ100年近い過去に廃止された旧線の跡は残っていない様です。。

ホームのカーブで車両との間隔が広い。

では、次回【私鉄に乗ろう 65】和歌山電鐵貴志川線 その3 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)