何やら玉突き現象みたいです【私鉄に乗ろう 74】

2019.01.04

※2005年(平成17年)に名古屋鉄道から譲渡された名鉄モ590形電車592。

【私鉄に乗ろう 74】とさでん交通軌道線 その2

桟橋五丁目停留場から200mで桟橋車庫前停留場。1987年(昭和62年)に桟橋車庫が知寄町から移転されました。左にちょうど車両が入庫しているのが見えます。車庫から出て来る電車は上り線(はりまや橋方面)にしか行けないので次の桟橋通四丁目停留場始発になります。逆に下り線からの入庫は停留場を過ぎた渡り線で上り線に移って車庫に向かいます。

桟橋車庫前停留場。1904年(明治37年)土佐電気鉄道の桟橋線(当時は潮江線)の終点「桟橋停留場」として開業、翌年に現在の桟橋五丁目停留場まで延伸されて新たに「桟橋停留場」となったため「岸壁通停留場」と改称されました。2007年(平成19年)に桟橋車庫前停留場に再改称されています。

停留場からはりまや橋方面200mほどの所に高知市立自由民権記念館があります。2009年(平成21年)「自由民権記念館前」の副名称の使用が開始されました。

シャッターが一瞬遅れて車庫への分岐線が上手く写っていません。右の門には「とさ電交通株式会社」と掲げられています。

400mで桟橋通四丁目停留場。写真は明るいのにちょっとブレてしまいました。ホームは千鳥式配置で上りが手前(南側)にあります。1904年(明治37年)の開業時は中堤停留場。1938年(昭和13年)に現在の桟橋通四丁目停留場に改称されました。

200mで桟橋通三丁目停留場。1955年(昭和30年)開業。ここのホームも千鳥式配置で上りが南側。

300mで桟橋通二丁目停留場。ここは相対式ホームです。歩道橋でホームに渡る構造の様です。1950年(昭和25年)の開業時は桟橋通三丁目停留場。1955年(昭和30年)に隣の桟橋通三丁目停留場が開業した時に桟橋通二丁目停留場に改称されました。奇妙なのは、それまで桟橋通二丁目停留場を名乗っていた隣の停留場が現在の桟橋通一丁目停留場に改称されていることです。何やら玉突き現象みたいですね。

200mで桟橋通一丁目停留場。1904年(明治37年)帯田停留場として開業しました。1938年(昭和13年)に桟橋通二丁目停留場に改称。同時に隣の鏡川停留場が桟橋通一丁目停留場を名乗りました。この初代桟橋通一丁目停留場(旧鏡川停留場)が1955年(昭和30年)に廃止されて、二代目桟橋通一丁目停留場になります。ここも玉突き現象です。ここは千鳥式配置で上りホームが北側にあります。下りホームは通り過ぎたので写っていません。

500mで梅の辻停留場。1904年(明治37年)の開業当時の区間は、梅の辻から鏡川を渡った潮江橋の北側から西に方向を変えて鏡川に沿って進んだ後にまた北上するというものでした。1928年(昭和3年)にはりまや橋から南下して梅の辻に至る新線が開通したことで廃止されました。

潮江橋を渡ります。1906年(明治39年)に架けられた潮江橋は軌道専用でしたが1927年(昭和2年)に架け替えられて道路との併用橋になりました。現行の橋は1980年(昭和55年)に架けられた二代目の併用橋です。

桟橋五丁目近くの「わんぱーくこうち」開園時間帯なので桟橋方面行の電車に「わんぱーくこうち行」の方向板が付けられています。

【私鉄に乗ろう 74】とさでん交通軌道線 その3 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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