ちょっと不思議ですが【私鉄に乗ろう 74】

2019.01.13

【私鉄に乗ろう 74】とさでん交通軌道線 その11

はりまや橋停留場から100mでデンテツターミナルビル前停留場。ここから後免線。運転士さんが交代します。

500mで菜園町停留場。1908年(明治41年)堀詰停留場から下知停留場(現・宝永町停留場)まで開通した時に設けられた停留場。当時は大鋸屋橋通停留場(おがやばしどおりていりゅうじょう)でしたが、1938年(昭和13年)菜園場停留場に改称されました。江戸時代、この辺りに土佐藩の菜園があったことに由来します。手前の上りはりまや橋方面ホームの工事をしていました。

下り後免町方面ホーム。

400mで宝永町停留場。千鳥式ホーム配置で上りが手前にあります。1908年(明治41年)堀詰停留場から開通した終点でした。当時は大鋸屋橋通停留場。翌1909年(明治42年)葛島橋西詰停留場(現・知寄町三丁目停留場)まで延伸されています。1938年(昭和13年)宝永町停留場に改称されています。1943年(昭和18年)に休止されましたが1952年(昭和27年)に再開されています。

下りホーム。次の停留場も千鳥式ホーム配置で上り方面は近くに見えています。

300mで知寄町一丁目停留場。1928年(昭和3年)に開業した時は三条通停留場でした。現在の停留場名に改称されたのは1938年(昭和13年)。

300mで知寄町二丁目停留場。千鳥式ホーム配置で上りが手前です。1909年(明治42年)の開業時は新地通停留場でした。その後何度かの改称を経て、1957年(昭和32年)知寄町一丁目停留場になりました。1911年(明治44年)から1944年(昭和19年)までは、この停留場を起点に南に500mの新地線がありました。

下りホーム。ここも次停留場の千鳥式配置上りホームが見えます。

200mで知寄町停留場。知寄町一丁目、知寄町二丁目ときて、知寄町三丁目の手前に知寄町があります。ちょっと不思議ですが、その理由は、1957年(昭和32年)にこの停留場が知寄町車庫前として開業するまで、宝永町〜知寄町一丁目間に初代の知寄町車庫前停留場があったからでした。車庫の他に土佐電気鉄道本社や東雲町車両工場など多くの現業部門が集中し、土佐電の心臓部とも言えるエリアでした。しかし心臓部は1987年(昭和62年)板橋地区(桟橋車庫前)へ移転し停留場も知寄町に改称されました。

400mで知寄町三丁目停留場。1909年(明治42年)葛島橋西詰停留場(現・知寄町三丁目停留場)まで後免線が延伸された時の終点でした。翌年には鹿児まで更に延伸されました。休止を挟んで1972年(昭和47年)に知寄町三丁目停留場と改称されています。

【私鉄に乗ろう 74】とさでん交通軌道線 その12 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)

TAGS とさでん 路面電車 鉄道旅


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