布袋サマの堪忍袋【非電化路線に乗ろう04】烏山線 その4

2019.12.13

トップ画像はEV-E300系電車の運転台。

朝夕は通学の学生さんで混んでいるローカル線の列車に乗ることもとりたてて珍しいことではありません。でも、ここまで2両編成の列車が満員のギュウギュウ詰めというのは初めてです。一方で前面展望は長閑に広がっています。

下野花岡駅から2.0kmで仁井田駅。奇妙な線形は、相対式ホーム2面2線だったことが分かります。

桜が咲いています。2019年4月8日(月)です。東京よりもいくぶん涼しいエリアなのでしょう。駅の北(左)側は何の工事でしょうか。重機が動いているようです。

単式ホーム。過去の相対式ホーム2面2線時代の痕跡は線路の形だけの様です。

この駅で満員だった学生さんが一斉に降車しました。ゾロゾロ歩いて行きます。たぶん栃木県立高根沢高等学校の生徒さんでしょう。学校は駅の北側100mも離れていませんが、南側の駅出入口からは、踏切まで迂回して500mくらい歩くことになります。相対式ホームが有った頃に北口があれば、さぞかし通学が楽だったでしょうね。

車内が空いたのでドアまで移動して車外が撮れます。

最後に降りた諸君。学生さんの降車に3分程かかりました。運転士さんは「これで毎朝、列車が少し遅れます」とのこと。

駅名標。仁井田駅の七福神は布袋様。中国、唐の末期に実在したと言われる仏教のお坊さん。禅僧であると誤って伝えられるのは鎌倉時代に禅画の題材として日本で人気があったことからではないのかな。まぁ。ぽってりとした福々しいお姿が広い度量や円満な人格と結びつけられて考えられた様です。背負っている布袋は堪忍袋。

1923年(大正12年)熟田(にいた)駅として開業。1925年(大正14年)仁井田駅に改称。2014年(平成26年)古い木造駅舎が新駅舎、ほとんど公衆トイレに狭い待合室が付け足された様な現駅舎に建て替えられました。

駅名の仁井田(熟田)というのは、1889年(明治22年)町村制施行で熱田(にいた)村が発足したことに端を発しています。1954年(昭和29年)に熱田(にいた)村は分村合併して現在の高根沢町になって消滅しました。これが駅名の元になっています。熱田(にいた)郵便局が元の地名を残していますが、何故1925年(大正14年)に仁井田駅に改称されたのかは分かりません。むしろ駅名が仁井田になったことで仁井田を名乗る施設などが周囲に発生した様です。しかし、現在の駅周辺には、熱田(にいた)も仁井田という地名も見つかりません。

駅所在地は栃木県塩谷郡高根沢町大字文挟(ふばさみ)です。この文挟という地名は風情があって良いなぁ。

すっかり車内はガラガラになって、心なしか加速も速くなった? 若いエナジーのギュウギュウ詰めで息苦しかったので、少なくとも呼吸は楽になりました。(笑)

平坦な所から少し山の様になった部分に入ってゆきます。

では、【非電化路線に乗ろう04】烏山線 その5 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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