1919年の冬の夕刻に横須賀駅で客車に乗って芥川龍之介さんは自宅の鎌倉に帰るところです。

発車のベルが鳴ると十三〜四歳の少女が芥川の乗る二等車に駆け込んできました。

私はこの小娘の下品な顔だちを好まなかった。それから彼女の服装が不潔なのもやはり不快だった。最後にその二等と三等との区別さえも弁(わきま)えない愚鈍な心が腹立たしかった。本書 p,445

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横須賀線は隧道が多いので、トンネルに入って

しかしその電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡しても、やはり私の憂愁を慰むべく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切っていた。
〈中略〉
この隧道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、そうして又この平凡な記事に埋まっている夕刊と、ーーこれが象徴でなくて何であろう。不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であろう。本書 p.445

何だか不条理な言いがかりをつけられている様な気分にもなりますが、芥川さんは斯くの如く不機嫌です。しかも、気に入らない少女がトンネルの中で苦労して窓を開けるのです。芥川さんは喉を痛めているので蒸気機関車の煙で呼吸ができなくなってブチ切れそうになります。

やっと隧道を出たと思うーーその時その蕭索とした踏切りの柵の向うに、私は頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立っているのを見た。彼等は皆、この曇天に押しすくめられたかと思う程、揃って背が低かった。そうして又この町はずれの陰惨たる風物と同じような色の着物を着ていた。〈中略〉私は思わず息を吞んだ。そうして刹那に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴こうとしている小娘は、その懐に蔵していた幾顆の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。本書 p.447

私はこの時始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅(わず)かに忘れる事が出来たのである。本書 p.448

まぁ、有名な作品なので今さら文句も御座いませんが。(笑)

(写真・記事/住田至朗)