玉村豊男「安全柵の内側で」(2017年)

いよいよ最後の文章です。掉尾を飾るのは玉村豊男さん。初期の『料理の四面体』を読んだのはずいぶん昔のことです。ワインに興味が無いのでその方面の著作は読みませんが、軽井沢移住を含め何冊かの著作は読ませていただいています。

安全柵(ホームドア)、日本では1974年(昭和49年)新幹線熱海駅に「可動式ホーム柵」が設置されたのが最初。鉄道車両のドア数が不揃いだったりしたことで設置が遅々として進まない時期もありましたが、最近は車両更新に合わせて設置が急速に拡大しています。

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世界で最初に安全柵(ホームドア)が設置されたのは、1961年ソビエト連邦レニングラード(現・サンクトペテルスブルグ)地下鉄の勝利公園駅とされています。サンクトペテルスブルグは元来湖沼地帯で地下鉄はスゴク深い場所を走っています。ビックリするのはホームとの間のエスカレーターの長さ。極端な話10分とか15分くらい乗るのでロシア人は本を読んでいました。

勝利公園駅のホームドア、というか地下鉄車両は出入りの時にしか見えません。

偶々、10年ほど前にエルミタージュ美術館に一人でぷらっと行った時にサンクトペテルスブルグを地下鉄でウロウロしたので写真がありました。ってロシアはビザが必要だし、ぷらっとは行けません。特に私の様にツアーでは無く、一人でプラプラしたいというのは、大声では言いませんが「止めた方が無難」です。英語が通じる場所(もちろん観光客相手で値段が高い)が極めて限定されるのでマジでタイヘンです。庶民のレストランには英語のメニュなんてないですから。

ちょうど白夜の少し前に行ったので、23時半頃まで太陽が出ていました。週末は深夜までパーティーをやってる地元民が多いので誘われても行っちゃダメ。死ぬまで飲まされます。

朝方、歩道にマグロ状態のジモピーが転がっていました。

ロシアは煙草に税金が殆どかかっていないのでイギリス辺りで1箱2000円のマルボロが80円くらいで買えます。ウォッカ専門店では下は50円くらいから青天井で高価なものまで100種類くらい並んでました。英語の全く通じないおばちゃんに「アンタが普段飲んでるのは?」と身振り手振りで訊いて買ったのは1本700円の高級品でしたが、なかなか乙なウォッカでした。毎晩ナイトキャップにして帰国時には空。(笑)

オマケですがFrank Zappaのポスターに吃驚。息子のDweezilのライブですね。

話を玉村豊男さんの文章に戻します。

若い頃から、私は社会の埒外(らちがい)で生きたいと願ってきた。本書 p.472

分かり易く言うと玉村豊男さんは「安全柵の外側」で生きたいと望んでいたのです。

しかし親の期待に沿って玉村さんは東大に進学、卒業後は、せめてもの反抗と就職せずフリーライター、結果的に作家になりました。放浪の人生に憧れつつも軽井沢に一軒家を建てて、今は葡萄畑とワイナリーのオーナーです。

その玉村さん、40歳を過ぎた頃に衝動的に東北を旅しました。

私は東根で降りて、できるだけ場末感の漂う酒場を探して入り、このあたりに安宿はないかと訊くと、辛うじて聞き取れる方言で、昔は女郎屋だったという侘しい旅館を女将が教えてくれた。本書 p.474

東根は、山形県にある奥羽本線の駅です。山形新幹線のさくらんぼ東根駅は東根中心部に近いのですが、奥羽本線の東根は、町の中心と東根温泉の中間辺りという何とも曖昧な位置に駅が置かれています。

この旅の直後、私は血を吐いて倒れた。からだの中の血の半分を吐く大出血で、入院して輸血を繰り返したために肝炎ウィルスをもらい、それから三十年間、慢性肝炎を患うことになった。吐血の原因は不明だったが、私の人生前半の逃避願望に、否応なく決着をつける一撃になったことは間違いない。本書 p.476

安全柵(ホームドア)が玉村さんが選んだ「安全な生き方」の比喩となって御本人を苦しめるということの様です。

だから、私は新幹線に乗るのが、あまり好きではない。本書 p.476

漸く479ページの『読鉄全書 』を読み終わりました。いかがでしたか?

最後に書誌情報

書名 読鉄全書
平成三十年二月一日 第一刷発行
編者 池内紀 松本典久
発行所 東京書籍(株)
ISBN 978-4-487-81088-8
定価 本体1900円(税別)

今回記事を書くために約二年ぶりに読み返しました。丁寧に読んだので、一度目では気が付かなかった点なども少なからずありました。また、何年かしたら読み返してみるかもしれません。

(写真・記事/住田至朗)